尿前の関(大崎市)

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概要・歴史・観光・見所
尿前の関(鳴子温泉)概要: 出羽街道は多賀城と秋田城を結ぶ重要な街道でした。戦国時代に入ると当地は陸奥国と出羽国に接することから重要視され当時の領主大崎氏が遊佐氏に命じて「小屋館」と呼ばれる関所を設けました。大崎氏が滅ぶと遊佐氏は帰農しましたが、江戸時代に入ると伊達藩がこの地を重要視した為、寛文10年(1670)に改めて遊佐氏の屋敷内に尿前の関が設けられ、遊佐氏は関守として復権し、藩からは役人が派遣されています。元禄2年(1689)には松尾芭蕉、曽良一行が奥の細道で出羽街道中山越で尾花沢へ抜けようとした際、厳しい取締りにあっています。関所の規模は明治初期の記録によると東西44間、南北40間の広さに周囲を石垣と土塀で廻らし、内部には長屋門、役宅、土蔵などが配されていました。現在は遺構がなく、柵や木戸などが復元されています。

尿前の関
尿前の関
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