最上町: 太郎田観音

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概要・歴史・観光・見所

太郎田観音(最上町)概要: 太郎田観音堂は山形県最上郡最上町大字若宮に境内を構えています。太郎田観音の創建は奈良時代の天平年間(729〜749年)に小国を開発した伊豆三郎が慈覚大師の作と伝わる十一面観音を祀った事が始まりとされます。

伝承によると、伊豆国から流れ着いた伊豆三郎が悠悠自適な生活をしていましたが、同じく安芸国から流れ着いた田沢内之助と共に、修行僧に諭され、当地の開発を行いました。

当時は川の氾濫が続き泥沼のような土地柄で、水捌けを良くし原野を開拓しましたが、なかなか稲作が育たず心が折れそうになり開発を諦めそうになると、一羽の白鷺が飛び去り、そこから天に放つ一條の光が見ました。

2人は不思議に思い覗いて見ると光を放つ観音像と、そこから稲が発育しているのを見つけました。2人は仏意と悟りさらに開発に尽力すると共に観音像を篤く信仰すると、豊作が続き多くの人が集まるようになり豊かな村が出来上がったと伝えられています。

その後は神仏習合し、別当寺院として葉山派の修験である滋雲山明学院、鎮守社として諏訪神社が祀られてきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により、明学院は天台宗の寺院となり諏訪神社の御神体だった円形懸仏(室町時代作、直径20cm余、とぐろを巻く蛇の胴体に、あご髭の翁の頭部が乗る珍しい彫刻)も明学院に遷されています。

境内には観音堂の他、地蔵堂、諏訪神社、湯殿山碑などが建立され神仏習合時代の名残が見られます。

最上三十三観音霊場第三十二番札所(札所本尊:十一面観世音菩薩、伝:慈覚大師作・御詠歌:みやまぢや ひばらまつばら わけゆけば たろうだにこそ こまぞいさめる)。宗派:天台宗。別当寺院:慈雲山明学院。

太郎田観音:写真

太郎田観音
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