新庄市: 新庄城

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新庄城
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新庄城概要: 新庄城は当初は国人領主の館が築かれていたとされ鵜沼城と呼ばれていたようです。天正年間(1573〜92)には日野有祐が領していましたが、戦国末期には最上家に制圧され従属することになります。その後、更に城郭改築し、名称も「新城」と変え最上48館の1つと数えられる程になりました。元和8年(1622)に最上家がお家騒動で改易されると日野氏も藤堂家に預けられ城は無城主状態になり、変わって戸沢氏が角館から常陸国松岡を経て新庄藩6万8千石の領主となります。戸沢氏は当初鮭延城に入りますが、山城であった事と真室川が領内の北方に位置していた為、幕府に許可を求め新庄を本城とし、さらに城郭を拡充します。創建当初は本丸に三層の天守閣(寛永13年に焼失後は再建されず)と3棟の隅櫓を配し、表御門と裏御門は枡形の櫓門となっていました。二の丸には政庁が置かれ、三の丸には重臣屋敷、築城後は羽州街道を城下に引き込み商人町としました。戊辰戦争の際は、当初、奥羽越列藩同盟に調印しましたが早々に離脱した為、庄内藩から攻め込まれ城は炎上しました。現在は最上公園となり市民の憩いの場となっている一方で、水掘りや土塁、表御門の石垣など遺構が残り、天満宮戸沢神社などの古建築もあり新庄市指定史跡となっています。

 




 

 
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