仙人堂(外川神社)概要: 仙人堂(外川神社)は最上川に流れ落ちる白糸の滝の近くに境内を構えている御堂で、創建は常陸坊海尊が鎌倉時代初期に開いたと伝わっています。伝承によると常陸坊海尊は源義経の従者の1人で、義経が平泉へ下向中この場所へ訪れた時、傷を負っていた為ここに残ったそうです。海尊は傷がいえた後で修業を重ね仙人のようになったことから仙人堂と呼ばれるようになり、最上川舟運関係者からは舟の安全、周辺住民からは雨ごいの場所として信仰の対象となっていました。江戸時代中期になると庶民にも行楽嗜好が高まり、出羽三山に多くの参拝者が訪れるようになると、仙人堂にも参拝するのが常とされました。
当時、舟形街道から出羽三山へ参拝する場合には清水湊か、本合海湊で舟運に乗船し清川で上陸した為、仙人堂はその安全祈願としても信仰され、その間の最上川沿いに鎮座する鎧明神、兜明神、竜明神、本合海八向明神と共に「最上の五明神」に数えられました。元々は修験関係の色合いの濃い宗教施設でしたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により形式上は仏式を廃して日本武尊の分霊を迎えて外川神社となっています。又、松尾芭蕉もここを訪れ、「白糸の滝は青葉の隙々に落ちて、仙人堂、岸に臨みて立つ。水みなぎって船危し」と書き記し「さみだれを あつめて早し 最上川」と詠った事でも有名です。
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