河北町(歴史)概要: 河北町は中世、中条氏が谷地城を中心に治めた町です。戦国時代になると6代目当主だった中条長昌は子がなかった為、その後継を白鳥十郎長久に譲ると長久は城下町や領内の整備に力をいれ河北町の祖を築きます。外交面でも才を発揮し織田信長と親交を深めることで地位を確保すると勢力を拡大し国人領主として確立していきます。当初は最上氏と敵対していましたが婚姻関係を結ぶ事で一時休戦し、天正12年(1584)に重病と称した義光を長久が見舞う為、山形城に入城した時に長久は忙殺されてしまいます。その後、谷地城は落城、白鳥氏は滅亡し河北町周辺は最上氏の領地となります。周辺は交通の要所でもある為、軍事上重要視され関ヶ原の合戦(出羽合戦)の際は上杉勢との戦場となりました。最上氏が江戸時代初期にお家騒動により改易になると北部は新庄藩領、幕領、山形藩領などに分割され明治維新を迎えます。文化的には最上川舟運の河港として発展し米や紅花などの集積地となり多くの豪商が出現し京都や大阪の上方文化に大きな影響を受けました。特に雛人形には上方文化が見えるとされ独特の文化が花開いたそうです。
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