河北町: 旧堀米家住宅

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概要・歴史・観光・見所

旧堀米家住宅(河北町)概要: 堀米家は江戸時代中期から明治時代にかけて紅花商で財をなし周囲に多くの影響力をもちました。江戸時代では代々肝煎りを歴任し、明治に入っても戸長などの役職を勤めています。又、伊達藩の片倉家や庄内藩酒井氏などの交流もあり多くの拝領品を所持しています。

谷地はその他にも紅花で財をなす家が多く、大きな屋敷が続く町並みを呈していますが堀米家の屋敷はそれらとは異なり城郭のような雰囲気を漂わせています。

屋敷正面には幅10m程あろうかという掘があり、その内側には石垣が積まれ、長塀で内部の様子が見ない様になっていて橋を渡ると長屋門が控え一商人の格式とは異なる事が分かります。

武者蔵は嘉永6年(1853)に建てられたもので、土蔵造2階建、切妻、平入、幕末の頃、農民中心に一種の自警団的組織が作り上げられ、その武器庫になっていたそうです。

座敷蔵は江戸時代中期に建てられたもので当初は掘建式の蔵で一番蔵と呼ばれていましたが、その後座敷蔵として改修され内部は紅花を京都など上方と取引していた為、京風を取り入れ床の間や襖絵、細かな意匠など豪勢な造りになっています。

御朱印蔵は文久3年(1863)に建立されたもので、土蔵造平屋建、入母屋、妻入、正面1間軒唐破風向拝付、建築には地元の名工が手掛け、内部には新山神社から賜った御朱印状が収められていました。長屋門は江戸時代末期に建てられたもので、当時長屋門は身分の高い家にしか使用が認められていなかった事から堀米家の格式の高さを窺うことが出来ます。

昭和56年(1981)に当時の堀米家当主から屋敷全体が河北町に寄贈され現在は紅花資料館として一般公開され当時の豪商建築を見る事ができます。

長屋門を簡単に説明した動画

旧堀米家住宅:写真

旧堀米家住宅
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