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| 上山城 |
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| [ 付近地図: 山形県上山市 ]・[ 上山市フィールドワーク ] |
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上山城概要: 上山城は羽州街道と米沢街道の交差する交通の要所で、特に戦国時代は軍事的に極めて重要視されていました。中世は高楯城を本城とした小簗川氏が支配していましたが享祿元年(1528)に最上氏家臣である武衛義忠が支配する事になり天神森へ上山城を築きます。その後、武衛氏は伊達家と手を組み、反旗を翻した為、最上氏は武衛氏の家臣である里見氏を使って暗殺させます。関ヶ原の合戦では西軍側である上杉軍の直江兼続に攻め込まれ、米沢方面では長谷堂城と上山城以外は全て落城するといった敗戦を重ねます。里見氏は思い切った奇襲を行い、一時上杉軍を足止めした結果、その間に石田三成の敗戦の報が入り上杉軍は最上領より撤退していきました。元和8年(1622)に最上氏がお家騒動で改易となると、松平重忠が領主となり上山城を修築しましたが寛永3年(1626)蒲生昌勝、寛永5年(1628)には土岐頼行と短期間で次々と藩主がかわります。土岐氏は本格的に上山城を近代城郭として改築し、本丸の東側には天守閣に替わる三重櫓、東南の隅には二重櫓など配し櫓門や水掘で囲まれる姿は「羽州の名城」と呼ばれるまでなりました。その後、上山城は一時廃城となり幕府の命で三重櫓を始め城郭が破棄されます。金森頼時が入封した時は高層建築は建てられず、二の丸に居館を設けた程度でした。元禄10年(1697)松平信通が3万石で入封すると再び上山城は整備されますが、天守などは建てられませんでした。明治維新後は廃城となり、現在は二の丸に模擬天守が建ち、本丸には上山神社が安置されています。上山城の遺構としては本丸西側に内堀の一部が残り、土塁や石垣の跡が僅かに見て取れ、庭園は当時作庭されたものとされます。又、城門が「龍波」に籾蔵が鈴木家にそれぞれ移築されています。
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