円同寺(中山町)概要: 太虚山円同寺の創建は文安元年(1444)に当時の長崎楯城主中山宗朝が開基となり、代々の菩提寺としたのが始まりとされています。往時は長崎楯(城)の二ノ丸に建てられていましたが元和8年(1622)に最上家が改易に伴い長崎城は廃城、中山氏も当地を離れ、円同寺も宝永元年(1704)に現在地に移っています。
旧境内(長崎楯(城)の二ノ丸跡)には8代城主中山玄蕃頭朝政の墓(玄蕃壇)が残り昭和43年(1968)に中山町指定文化財(遺跡)に指定されています。
開山当時にあった円同寺の鐘は県内三古鐘の1つとされ山形県指定有形文化財に指定されていますが慶長年間(1596〜1615年)に山形市長谷堂の清源寺に移されています。
伝承によると最上家の重臣延沢能登守満延(延沢城の城主)が円同寺から清源寺まで袈裟代わりに頭に被り運んだとされ、丁度目に当たる場所(乳首)に穴を開け視界を確保したと伝えられています。
円同寺境内には文政13年(1830)に建立された中山玄蕃頭「朝政」の碑や中世に建立された「石塔婆」などがあります。寺宝である「中山光直氏書状」は天正年間(1573〜1593年)に中山光直(9代長崎城主:朝正)が氏家尾張守(最上家家臣)に年始の挨拶で送ったもので昭和43年(1968)に中山町指定文化財に指定されています。
又、円同寺にある寿老人は羽州山形七福神の1つに数えられ信仰の対象になっています。山号:太虚山。宗派:曹洞宗。
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