一里塚(楢下宿)概要: 一里塚は江戸日本橋より一里(約4キロ)毎に設置されたある種の標柱で、旅人や飛脚などの目安として江戸時代の初期に整備されたものです。楢下宿の一里塚は金山峠側の端に奥州街道から分かれた旧羽州街道の12番目として設置されました。本来一里塚は街道の両側に土盛りをして塚状にし榎などを植え込んでいますが、現在は道路の拡幅工事などでその遺構は見ることが出来ず、一里塚のあった場所に石碑が建立されてます。案内板によると「 一里塚は、安土桃山時代に始まり、江戸幕府が慶長9年(1604)2月、江戸日本橋を起点として、東海道、東山道、北陸道をはじめ、主要街道の一里(約4キロ)ごとに街道の両側へ塚を築き、塚の上には榎や松を植え、旅人の里程の目安とした制度であります。この羽州街道にも同じ頃に築かれ、奥州道中からの分岐点である桑折宿(福島県)から、山中七ヶ宿通り(一里塚10箇所)を経て、金山峠を越え、出羽国に入り、峠道に1箇所、その次がここ楢下宿頭にあり、羽州街道12番目の一里塚であります。そして皆沢・長清水にも一里塚がありました。傍らの樹木は、故事に習い鬼門に植えた槐の木です。 上山市楢下宿保存会」とあります。
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