般若院(丹生村観音)概要: 鷹尾山般若院の創建は不詳ですが江戸浅草観音堂から勧請した弘法大師が彫刻したと伝わる聖観世音菩薩像を安置したのが始まりとされます。伝承によると1人の老僧が聖観世音菩薩像を全国を巡錫していた際、当地で行き倒れとなり、その遺言により村人が堂宇を設けて本尊として祀り続けたと伝えられています。
当初は老僧が行き倒れになった観音屋敷の地にありましたが、天明2年(1782)、当時の別当職を担った光善法印の霊夢に観音菩薩の化身が立ち、その御告げにより現在地である丹生山の中腹に境内を移しています。
現在の丹生村観音堂は天保2年(1831)の火災後の天保4年(1833)に別当宥盛法印や周辺の信者達の尽力により再建されたもので、寄棟、鉄板葺、平入、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付、外壁は真壁造り、白木板張、向拝木鼻には象、獅子の精緻な彫刻が施されています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され月山神社に社号を改めましたが、まもなく般若院(丹生村観音)に復しています。境内には湯殿山碑をはじめ、数多くの石碑が建立され信仰の篤さが感じられます。
最上三十三観音霊場第30番札所(札所本尊:聖観世音菩薩、伝:弘法大師作・御詠歌:あなたふと みちびきたまへ にうむらの くわんぜおんにぞ はこぶあゆみを)。
|