五十沢観音(喜覚寺)概要: 五十沢観音堂の別当寺院である如金山喜覚寺の創建は慶長19年(1614)に釈浄信が金森山中腹に一宇を設け先祖からの持仏で慈覚大師が彫刻したと伝わる聖観世音菩薩を安置したのが始まりとされます。
伝承によると戦国時代、加賀国出身の金森氏が没落し家老である森又右衛門や加藤惣四郎などを従え当地(五十沢)に逃れ土豪となりました。その際、金森氏は出家し宣如上人(江戸時代初期の浄土真宗の高僧、東本願寺第13代法主)に弟子となり釈浄信を名乗ったと伝えられています。
現在の五十沢観音堂は元禄年間(1688〜1703年)の火災で焼失後、源正坊によって再建されたもので木造平屋建、寄棟、鉄板葺、平入、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付、外壁は真壁造、板張、素地、内部には本尊の他、大正14年(1925)に信者により奉納された木造33観音像が安置されています。
信仰が広がると信者や住民達は畏敬の念から境内前は馬を下り、布の手綱で馬を引いた事から「布引観音」の別称があります。
最上三十三観音霊場第21番札所(札所本尊:聖観世音菩薩:伝慈覚大師作・御詠歌:ひとはいざ こころもしらぬ いさざはの やまのおくにも つきはてるらん)。宗派:浄土真宗大谷派。本尊:阿弥陀如来。
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