大江町: 巨海院

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概要・歴史・観光・見所

巨海院(大江町)概要: 鉄囲山巨海院は山形県西村山郡大江町大字本郷丁に境内を構えている曹洞宗の寺院です。巨海院の創建は不詳ですが、中世には既に落裳寺山に境内を構え真言宗の寺院として知られていました。

伝承によると旧境内地だった落裳寺山付近には出羽郡司小野良実の務める役所があり、その娘である小野小町は巨海院の旧本尊で定朝が彫刻した伝わる虚空蔵菩薩(護法大士)を篤く信仰していたと伝えられています。

南北朝時代(室町時代前期)に入ると大江元時(大江寒河江氏9代目当主)が楯山城を築き、その城内に移転、天文11年(1541)に三光存辰和尚(新庄瑞雲寺5世)により曹洞宗に改宗し現在地付近に境内を移しています。

元和8年(1622)に最上家がお家騒動で改易になった後、庄内藩が成立し、その石高から村山郡1万2千石を分地され左沢藩が立藩、藩主は庄内藩主酒井忠勝の弟で直次が当たり、小漆川城(陣屋)を築き積極的に城下町を整備し、巨海院は酒井直次の菩提寺に定められ現在地に移転しました。

しかし、寛永7年(1630)に直次が没すると嗣子がなかった為、廃藩となり、小漆川城も破棄される事になりました。その後、左沢領は同じく庄内藩の支藩である松山藩が引き継ぎ、巨海院は当地域の中心的な寺院として松山藩の歴代藩主の位牌が安置され庇護されました。

現在ある巨海院の山門は小漆川城の城門として元和8年(1622)に建てられ、慶安元年(1648)に移築されたものと伝えられている建物で、入母屋、本瓦葺(鯱付き)、三間一戸、桁行3間(上層部4間)、梁間2間、八脚楼門、寺院の山門として改変され下層部の両側には仁王像、上層部には十六羅漢像が安置していました。

巨海院山門は小漆川城の数少ない遺構として貴重な事から平成元年(1989)に大江町指定有形文化財に指定されています。又、境内には酒井直次の墓と酒井直次夫人の墓が建立されており共に平成元年(1989)に大江町指定史跡に指定されています。山形百八地蔵尊霊場第46番札所(札所本尊:六地蔵尊)。山号:鉄囲山。宗派:曹洞宗。

巨海院:写真

巨海院
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