東村山郡山辺町(歴史)概要: 山辺町の歴史は古く、承和年間(834〜848年)に出羽郡司だった小野良実が山野辺城を築いたとされます。小野良実は小野小町の父親とされる人物で山辺町には小町手植えとされる愛宕神社の大杉や小町が産湯で使った泉などの縁の史跡が点在しています。奈良時代にはすでに条里制が取られ早くから開けていた地域の1つで延文元年(1356)には全国66ヶ寺建立された安国寺の1つが建立されました。古くから山辺町一帯は山野辺氏が支配しましたが次第に最上氏から影響を受けるようになり慶長6年(1601)最上義明の4男、最上(山野辺)義忠を嫡子として向かえた為、完全に従属化することになります。義忠は名君として知られる人物で山野辺城の改修、城下町の建設、積極的な領国経営など実績を残しますが、その実力が仇となり最上家のお家騒動に発展し元和8年(1622)に改易となります。その後は天領となり代官屋敷が置かれ、文政6年(1823)に白河藩の飛地となりました。又、山辺町は最上川舟運の盛んだった町で紅花等を扱い豪商となる商人も現れ、山間部では「からむし」を栽培し織物として上方まで運ばれていたそうです。
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