旧山野辺陣屋

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概要・歴史・観光・見所
旧山野辺陣屋概要: 旧山野辺陣屋は山野辺城の二の丸に文政6年(1823)に白河藩(福島県白河市)の飛び地に配された陣屋です。元々の山野辺城は承和年間(834〜848年)に郡司となった小野良実の居館跡で戦国時代に山野辺刑部が本格的に築城したとされます。その後、最上家家臣の日野氏が入りましたが、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで西軍に与した上杉家執政である直江兼続の最上領侵攻で落城します。

本戦である関が原で石田三成が敗れると兼続も自領に引き揚げ再び最上領となり、慶長6年(1601)に最上義光は四男の義忠を配します。義忠は近代城郭として縄張りをして積極的に城下町を建設するなど名君とされますが、跡継ぎ争いに巻き込まれ元和8年(1622)に最上家はお家騒動と見なされて改易されます。その後は天領として城跡に代官所が置かれ、文政6年(1823)からは白河藩の飛び地として陣屋が築かれました。

山野辺陣屋の敷地内には陣屋役宅、表御門、裏門、土蔵、御備蔵、稲荷社、牢、用水留井、井戸、役人用長屋(6戸分)などが配されました。明治維新後に代官所として役割を終えると、陣屋役宅の玄関は山辺小学校の玄関として移築されたものの、大部分は解体され横町小学校(山形市:後の山形第一小学校)の建築資材として利用されました。現在中央公民館の一角にある玄関の遺構はその時のもので貴重な事から山辺町指定有形文化財となっています。

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-山辺町教育委員会

旧山野辺陣屋:写真

旧山野辺陣屋
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