山形市: 光禅寺

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概要・歴史・観光・見所

光禅寺(山形市)概要: 天瀧山光禅寺は山形県山形市鉄砲町2丁目に境内を構えている曹洞宗の寺院です。光禅寺の創建は慶長7年(1602)、山形城の城主最上義光(最上宗家11代、山形藩初代藩主)が春林禅寺和尚(大石田町黒滝山向川寺9世)を召還して開山したのが始まりとされます。

山形藩57万石最上家の菩提寺として寺領250石が安堵されるなど庇護され境内には七堂伽藍が整備され寺運も隆盛しました。当初は慶長寺と称していましたが、義光が慶長19年(1614)に死去すると、当寺に葬られ戒名「光禅寺殿玉山道白大居士」に因み寺号を光禅寺に改められています。

元和8年(1622)に3代藩主義俊が御家騒動により改易になると、同年、新たに山形藩(24万石)に入封した鳥居忠政が、旧領(現在の福島県いわき市)から菩提寺だった長源寺を光禅寺の境内に召還した為、光禅寺は七日町(現在の長源寺の境内)から現在地に移転させられています。

江戸時代を通して幕府から朱印状を賜るなど山形の有力寺院として維持され最上家縁の品々を多数所有していましたが明治27年(1894)の山形大火に類焼し最上義光の御廟屋や本堂をはじめ多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失しています。

光禅寺本堂背後にある庭園は江戸時代初期以前に作庭されたもので、東西70m、南北30m、遠州流「心字の池」を中心に龍山、千歳山を借景とした林泉庭園(現在は大きな建物が建った為、借景の効果は失われています)、意匠的に優れ、山形県内では最も古い庭園の1つとして貴重な事から「光禅寺庭園」として昭和47年(1972)に山形市指定名勝に指定されています。

永和の板碑(永和二年石塔婆)は明治29年(1898)、山形城の二の丸の北東隅から発見されたもので、永和2年(1376)の銘があり、斯波兼頼(最上家始祖)が永和元年(1375)に山形城の草庵を設け出家している事から関係性が窺える貴重な事から昭和40年(1965)に山形市指定有形文化財(歴史資料)に指定されています。

寺宝である紙本金地著色葡萄棚図屏風(最上義光歴史観保管)は平成15年(2003)に山形市指定有形文化財に指定されています。

山形百八地蔵尊霊場第23番札所。山号:天瀧山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。

光禅寺:最上家三代の塋域
・ 最上義光-光禅寺殿玉山道白大居士-没年:慶長19年-享年69歳
・ 最上家親-盛広院殿安慶長公大居士-没年:元和3年-享年36歳
・ 最上義俊-月照院殿華岳英心大居士-没年:寛永8年-享年27歳

最上義光の葬儀後に殉死した四義士
・ 長岡但馬守-覚通義志居士-没年:慶長19年
・ 山家河内守-即永了心居士-没年:慶長19年
・ 寒河江肥前守-直庭是正居士-没年:慶長19年
・ 寒河江十兵尉-活翁快言居士-没年:慶長19年

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-山形市教育委員会
・ 現地案内板(縁起)-天瀧山光禅寺

光禅寺:写真

光禅寺
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