宮内熊野大社(米沢城:鎮守社)概要: 熊野大社は山形県南陽市宮内に鎮座している神社です。熊野大社の創建の詳細は不明ですが大同元年(806)に平城天皇の勅命で熊野権現(紀伊国)の分霊を勧請して再興したと記録が残っています。
貞観6年(864)には慈覚大師円仁が巡錫で当地を訪れ阿弥陀如来、薬師如来、観音菩薩の三像と、大黒像を自ら彫り込み安置し御本尊(本地仏)としました。
久寿2年(1155)、後白河法皇が即位以降、勅願所となり弘安4年(1281)の元寇の国難には亀山上皇の上使が勅命により熊野大社に詣でて天下泰平の祈祷が行われています。中世以降は歴代領主から崇敬され大江氏、長井氏、伊達氏、最上氏、上杉氏の各氏から社領や社殿の改修や造営などが寄進されています。
特に熊野大社の境内が米沢城から見ると北東の方角にあたる為、鬼門鎮守として崇敬庇護され戦国時代に米沢城の城主だった伊達政宗の軒札や寄進状などが残されています。江戸時代に入り上杉景勝が米沢城の城主になると上記の理由から同じく崇敬庇護し、慶長9年(1604)には上杉家執政の直江兼続が大旦那となり熊野大社の社殿の修復が行われています。
又、本社には法音寺(米沢市)から長野善光寺の本尊である善光寺如来を熊野大社まで運んだと伝わる御神輿が伝えられており、事実とすれば、善光寺如来は上杉謙信の手に渡り、景勝が米沢城に移封の際、当地に安置された事になります。
南陽市の熊野大社は和歌山の熊野三山(熊野本宮・那智・速玉大社)、長野県軽井沢町の熊野皇大神社と並び日本三熊野と称され、広く周囲の人達から信仰の対象となり、東北地方にとっての熊野信仰や修験などの一大拠点となりました。
古くから神仏習合し最盛期には33坊の宿坊がありましたが、江戸時代後期には7坊1神主6社人程度となり明治時代初頭に発令された神仏分離令以降は仏教色が一掃され熊野神社として独立し明治5年(1872)に郷社、大正6年(1917)には県社に列しています。
現在でも境内には鐘楼が残され神仏混合の名残が見られ、中でも拝殿は宮内熊野大社の象徴的な存在で山形県指定有形文化財に指定されています。境内にある、末社の土社神社とニ宮神社の社殿は室町時代に建立されたとされ、山形県指定有形文化財に、同じく江戸時代に建立された三宮神社社殿は南陽市指定有形文化財となっています。
熊野大社拝殿は天明7年(1787)に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、茅葺、正面千鳥破風、平入、桁行7間、張間3間、正面3間軒唐破風向拝付、外壁は真壁造り板張り、向拝懸魚には鳳凰、向拝には龍や獅子の精緻な彫刻、江戸時代中期の大型神社拝殿建築の遺構として貴重な事から平成19年(2007)に山形県指定有形文化財に指定されています。
拝殿背後には熊野大社本殿、二宮神社本殿、三宮神社本殿が並列に配され、それぞれ中門(切妻、銅板葺、一間一戸、碗木門)が設けられています。特に本殿には3羽の兎の彫刻が施されており、3羽見つける事が出来れば幸福が訪れると伝えられています。
又、境内にある大銀杏(山形県天然記念物)は源義家が後三年合戦の祭、家臣である鎌倉権五郎景政を使わし戦勝祈願し、その時手植えされたと伝えられています。祭神:熊野家津御子大神(素盞鳴尊)、熊野夫須美大神(伊弉册尊)、熊野速玉大神(伊弉諾尊)。
熊野大社の文化財
・ 熊野大社拝殿-天明7年,入母屋,茅葺,三間軒唐破風向拝−県文化財
・ 二宮神社本殿-室町末期,一間社流造,銅板葺-山形県指定文化財
・ 土社神社本殿-室町末期,一間社流造,銅板葺-山形県指定文化財
・ 大銀杏-後三年合戦時植樹,樹高約30m,根回7.7m-県指定天然記念物
・ 木造菩薩形立像および脇侍-室町時代-南陽市指定文化財
・ 三宮神社本殿-寛永3年,三間社流造,銅板葺-南陽市指定文化財
・ 木造獅子-鎌倉時代,阿像:45.5cm,吽像:38cm-南陽市指定文化財
・ 洪鐘-寛永3年,安部右馬助寄進-南陽市指定文化財
・ 羅陵王面-鎌倉時代-長さ37.2cm,幅21.2cm-南陽市指定文化財
・ 伝宋版大般若経-室町時代,598巻,宋版,巻黄麻紙-南陽市指定文化財
・ 伊達政宗安堵状-天正18年,仏供灯明田を安堵-南陽市指定文化財
・ 元和九年町割図-元和9年,門前町である宮内の町割図-市指定文化財
・ 木造證誠寺扁額-江戸時代、月舟の揮毫-南陽市指定文化財
・ 獅子頭-14世紀中頃,最大幅43.5cm,木造漆塗-南陽市指定文化財
・ 獅子冠並梵天ばよい-南陽市指定無形民俗文化財
・ 舞楽および稚児舞-南陽市指定無形民俗文化財
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