上小菅観音(金松寺)概要: 上小菅観音の創建は文保2年(1318)、大江宗秀(長井宗秀:鎌倉幕府御家人、長井庄(置賜)の地頭)によって開かれたのが始まりとされます。当初は現在より後方の高台に位置し月見の名所だったとされ江戸時代には米沢藩(藩庁・米沢城)の重臣だった竹俣当綱や莅戸善政、木村丈八等が度々、上小菅観音の境内で月見を楽しみながら藩政の行く末を案じて議論を交わしていたそうです。
文政13年(1830)に参拝に便がよい麓である現在地に境内を移しています。本尊の千手観世音菩薩(像高1.8m・秘仏)は伝承によると鎌倉時代初期に川から1本のクスノキの霊木が流れ着いた為、それを彫刻して安置したものとされ、その川は観音像が生まれた事に因み誕生川と呼ばれるようになったと伝えられています。
現在の金松寺観音堂は明治22年(1889)の火災で焼失後の明治25年(1892)に再建されたもので入母屋、鉄板葺、平入、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付、外壁は真壁造、素木板張。御神木であるケヤキの大木は推定樹齢300〜450年、樹高26m、幹周4.1m、根回6.7m、枝張東西25m、南北30m、平成6年(1994)に米沢市指定天然記念物に指定されています。
置賜三十三観音霊場第一番札所(札所本尊:千手観世音菩薩・御詠歌:ふだらくや あらしをきけば のりのこえ いわまのしみづ ひびくおほさわ)。山号:萬嶺山。寺号:金松寺。宗派:曹洞宗。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-萬嶺山金松寺
|
|