一花院跡(那須与一供養塔)概要: 一花院の創建は上杉家の重臣千坂景親が米沢城下に入った際、祖とされる那須与一の持仏である虚空蔵菩薩像を安置する為に一宇を設け千坂家歴代の菩提寺としたのが始まりとされます。千坂家は那須与一を輩出した那須家一族の後裔とされ鎌倉時代に入り上杉家の家臣となり、上杉謙信時代に大功を挙げた千坂景親は上杉家四家老に数えられ、景勝時代には初代米沢藩江戸家老に就任しています。千坂高信は満願寺家からの養子であった事から、満願寺家の菩提寺だった日朝寺に千坂家の菩提寺を変更すると一花院は衰微しました。
ただし、千坂家からは何らかな補助があったようで享保4年(1719)には千坂景親と那須与一の供養塔である三層石塔が建立されています。
文政7年(1810)の火災により堂宇が焼失した事でさらに衰微し、明治時代初頭に吹き荒れた廃仏毀釈運動により廃寺に追い込まれと思われます。現在は僅かな境内に虚空蔵菩薩堂と三層石塔、石祠、石灯篭などが残されています。
又、前田慶次の菩提も一花院の境内に葬られ墓碑も建立されたとされますが廃寺になった際に紛失しています。本尊などは隣接する関興庵に移され、境内の管理も関興庵によって行われています。
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