米沢市: 笹野観音堂

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笹野観音堂・歴史・観光・見所
笹野観音堂(米沢市)概要: 笹野観音堂の創建は不詳ですが大同元年(806)に坂上田村麻呂が蝦夷討伐で当地まで進軍した際、国家鎮護を祈願して観音堂が造営されたのが始まりとされ、弘仁元年(810)に高僧で会津地方の仏教の布教に尽力した徳一上人が寺院として開山したと伝えられています。当初から神仏混合の形態で別当には長命山幸徳院があたり、祭神として羽黒大権現が勧請され、当地の鎮守でもありました。室町時代の永享年間(1429〜1441年)、境内の前を乗馬して通ると決まって落馬するという事件が頻発した事から宥日上人が羽黒大権現と観音菩薩を秘仏とし、新たに前仏として千手千眼観世音菩薩を彫刻して安置したところ不思議と収まったとされます。笹野観音堂は中世以降、歴代領主から崇敬庇護され、社殿の改修や造営、社領の寄進などが行われ、特に慶長3年(1598)に領主となった上杉家執政の直江兼続は出羽三山(鶴岡市)から羽黒大権現の分霊を勧請し、慶長6年(1601)に上杉家米沢移封に伴い米沢城の最終防衛ラインとして鉄砲60挺を配備しています。笹野観音堂は江戸時代に入ると歴代米沢藩主である上杉家から祈願所として庇護され慶長6年(1601)に米沢藩初代藩主上杉景勝、寛永11年(1634)に2代藩主上杉定勝、慶安5年(1652)に3代藩主上杉綱勝、寛文6年(1666)と元禄3年(1690)に4代藩主上杉綱憲、安永8年(1777)に9代藩主上杉治憲がそれぞれ観音堂の改修を行っています。

現在の笹野観音堂は天保4年(1833)の火災で焼失後の天保14年(1843)に12代藩主上杉斉憲により再建されたもので、棟梁は渋谷嘉蔵、彫刻は後藤藤吉・政吉、労働力人工は延べ7,100人、15万石の米沢藩としては一大事業となりました。建物は入母屋、茅葺で正面に大型な千鳥破風、桁行3間、梁間3間、正面3間軒唐破風向拝付、向拝には龍や鳳凰、獅子、兎、象などの彫刻が施され江戸時代後期の社寺建築の特徴が見られる貴重なもので平成19年(2007)に米沢市指定文化財に指定されています。笹野観音堂の仁王門は天保11年(1840)の火災で焼失後、明治6年(1873)に南原の常慶院から移築したもので三間一戸、入母屋、金属板葺、八脚楼門、上層部は真壁造り素木板張り、花頭窓付、下層部には仁王像が安置されています。境内には紫陽花が咲き乱れ別名「あじさい寺」と呼ばれています。置賜三十三観音霊場第19番札所(札所本尊:千手千眼観世音菩薩・御詠歌:参り来て今はのぞみの笹野山の木草も瑠璃の光ぞ)。宗派:真言宗。別当寺院:長命山幸徳院。

笹野観音堂
笹野観音堂
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