直江石堤(米沢市)概要: 慶長6年(1601)、上杉景勝が米沢藩を立藩すると上杉家執政の直江兼続によって領内の整備が行われました。特に120万石から30万石の大厳封になったにも関わらず、家臣をそのまま引き連れてきた為、米沢城と城下町の整備が急務となりました。当時の米沢城は狭小でさらに松川(最上川)の水害に悩まされていた事もあり総延長10キロにも及ぶ谷地河原堤防(直江石堤)と蛇堤を計画しました。
工事に先駆け兼続は自ら赤崩山に登り米沢盆地を見渡し采配を振るったと伝えられています。工事には下級武士をはじめ多くの人員が動員され、堤の重要性から江戸時代を通して維持や整備が行われ特に文化9年(1812)には9727人が動員され大改修が行われました。堤の幅は約3.8m〜7.8m、底辺に対して上辺は短い台形の形状で、平均高さが約1.5m、部分的には2段構成で玉石を利用した石積みの堤防となっています。
多くの堤は近代的な河川工事や洪水などで姿を消しましたが現在でも約1.2キロほどが残り昭和61年(1986)に米沢市指定史跡に指定されています。又、石堤のある河川敷は「直江堤公園」として整備され米沢市民の憩いの場となっています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-米沢市教育委員会
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