山神社(最上町・瀬見温泉)概要: 源義経伝承史跡の1つで、案内板によると「 北の方が、お産の後 しばらく養生するために、ここに産屋を建てたと伝えられている。」とあります。産屋が朽ちた後、旧跡を偲んで村人が山神神社を建立したとされ、境内には武蔵坊弁慶が笈を掛けた「笈掛け桜」があったと伝えられています。社殿は切妻、平入、銅板葺、桁行2間、梁間1.5間、華美な装飾が無く質実な建物です。又、社号とは別に北の方の産屋があった事から安産に御利益があるとされます。源義経は腹違いの兄である源頼朝の追討令により京都を追われ平泉に逃避を続けていた際、亀割峠で北の方(郷御前)が産気づき亀若丸を産んだとされます。周辺には亀若丸を産んだ際利用した産湯(瀬見温泉)や安産を祈願した亀割子安観音などこの伝説を補填するような史跡が点在しています。これらの伝説は室町時代に製作された「義経記」という軍記物で記載されている一場面ですが、義経没200年後に書かれたもので矛盾や脚色も数多くあり疑問視する人もいます。
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