白布三十三観音(米沢市)概要: 案内板によると「 東屋24代当主が、幾世の安らかなる事と、温泉の永遠の栄えを祈願して、石工と共に西国三十三観音を巡礼し、分霊をうけ、享保14年(1729)に建立した「石造野立の三十三観音」です。更に、笹野観音住職が巡礼し分霊をうけ、昭和50年安置の「四国八十八ヶ所」もあり、来場者の憩いの場ともなっています。」とあります。一般的には庶民の物見遊山は江戸時代後期から急速に発展しました。特に宗教的な参拝や巡礼などを理由とすれば藩からの許可が下りやすく、関所の取調べも比較的楽だった事からお伊勢参りや金比羅参り、富士山登拝などが行なわれました。村人達は毎年少しづつ資金を貯め、数年に一度代表者が参拝する例が多く、そこの分霊の勧請や境内の砂、御札などを持ち帰り村で祀ることがありました。西国三十三観音も人気が高く、村の一角に三十三観音の分霊を勧請してそこを参拝すると同じ御利益があるとされました。白布温泉のものは江戸時代中期にあたる為、特に東北地方では異例な速さで笹野観音の住職は時代を先取りした偉業を行なったと言えます。石仏は選定された三十三の寺院の本尊を模ったもので現在でも明瞭に見る事が出来ます。石仏の他にも祭壇と思われるものや、地蔵尊像や石碑、石祠、石灯籠なども建立されており、当時の民間宗教の形態が色濃く残されています。
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