山形県日本三大(文殊・五重塔・銀山)

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山形県の日本三大・概要

山形県には日本三大○○が幾つか存在しますが、今回は日本三大文殊の1つに数えられてい亀岡文殊堂と日本三大五重塔の1つに数えられている羽黒山五重塔(出羽三山)、日本三大銀山の1つに数えられている延沢銀山を紹介します。

日本三大文殊:亀岡文殊堂

亀岡文殊堂・写真
[ 山形県高畠町 ]
亀岡文殊堂(日本三大文殊)概要: 亀岡文殊堂は大同2年、徳一上人によって文殊菩薩を勧請しのが始まりと伝わっています。京都府の切戸文殊(智恩寺)、奈良県の安倍文殊院と共に日本三文殊の1つに数えられ、文殊信仰篤い聖地でした。文殊菩薩は人々に知恵を授けるとの教えから境内では歌会なども催され、慶長7年(1602)には米沢藩執政である直江兼続が大国実頼や前田慶次など集め和歌や漢詩を歌ったそうです。幕府からも庇護され徳川綱吉から家茂まで文殊堂領として100石の朱印状を受けとっています。

亀岡文殊堂・写真

亀岡文殊堂・写真 亀岡文殊堂・写真 亀岡文殊堂・写真 亀岡文殊堂・写真

日本三大五重塔:羽黒山五重塔(出羽三山)

羽黒山五重塔・写真
[ 山形県鶴岡市 ]
羽黒山五重塔(日本三大五重塔)概要: 羽黒山五重塔(山形県鶴岡市)は承平年間、平将門によって造営されたのが始まりとされます。現在の五重塔は応安5年、大宝寺氏によって建てられた建物で、戦国時代には領主である最上義光が改修しています。出羽三山は古くから修験の山として神仏習合し神道と仏教が混沌としてきましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が排され、五重塔のあった羽黒山も羽黒神社となりました。多くの仏教色が強い堂宇は破棄されましたが瀧水寺五重塔は奇跡的に残され昭和41年には国宝に指定されています。奇抜な色彩や彫刻ば無い素朴な塔ですが全体の塔姿は大変美しく瑠璃光寺五重塔(山口県)、法隆寺五重塔(奈良県)と共に日本三大五重塔に数えられています。

羽黒山五重塔(出羽三山)・写真

羽黒山五重塔・写真 羽黒山五重塔・写真 羽黒山五重塔・写真 羽黒山五重塔・写真

日本三大銀山:延沢銀山(銀山温泉)

延沢銀山・写真
[ 山形県尾花沢市山形銀山温泉 ]
延沢銀山概要: 延沢銀山(山形県尾花沢市)は現在の石川県金沢市出身の儀賀市朗左ェ門が康正2年に発見したのが始まりとされます。その後、当地方の領主である野辺沢氏(延沢氏)が支配し、主家である最上家を通じて豊臣秀吉に銀を上納しています。江戸時代当初は山形藩が支配し藩主鳥居氏は野辺沢氏関係者に銀山開発を許可し大きく繁栄する事になります。その後、天領になると御公儀山として代官所が設けられ最盛期には人口2万、寺院48ヶ寺を擁する銀山となり日本三大銀山に数えられました。江戸時代中期になると徐々に産出量が減少し元禄15年(1703)には一応の閉山を迎えます。現在、銀山町だった場所は山形県の温泉街の中でも大正ロマンが感じられる銀山温泉として有名になり数多くの湯治客が訪れています。

延沢銀山・写真

延沢銀山・写真 延沢銀山・写真 延沢銀山・写真 延沢銀山・写真 延沢銀山・写真 延沢銀山・写真 延沢銀山・写真

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