月山神社(出羽三山)概要: 月山神社の創建は推古天皇元年(593)、蜂子皇子(崇峻天皇の第3皇子)が羽黒山を開山した後に月山(標高:1984m)を登拝し開山したのが始まりとされます。
古くから格式が高く宝亀4年(773)に月山神に神封2戸が与えられ、貞観6年(864)に従三位、貞観18年(876)に正三位、元慶4年(880)に従二位に列し、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳では名神大社として記載されています。
平安時代後期頃から本地仏阿弥陀如来と神仏習合し修験の一大霊場として発展した出羽三山信仰に一翼を担いました。
戦国時代に入ると庄内の領主武藤家から崇敬庇護されましたが、武藤家と敵対した最上家からは敵視され、度々境内が荒され社殿や社宝が破却されました。
江戸時代に入り庄内地方が最上領になると一転して最上家から庇護され社殿の修復などが行われています。元和8年(1622)に最上家が御家騒動の為に改易になると新たに庄内藩主となった酒井家が引き続き崇敬庇護し社運も隆盛しています。
元禄2年(1689)には松尾芭蕉が奥の細道行脚の際、出羽三山も訪れ6月6日には月山登拝を行い山頂の角兵衛小屋に宿泊、「雲の嶺いくつ崩れて月の山」の句は月山登拝の時に詠まれた句とされています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後に吹き荒れた廃仏毀釈運動で多くの仏塔や石仏、仏像、石碑などが破却され形式的には神社となり明治7年(1874)に国幣中社、明治18年(1885)に官幣中社、大正3年(1914)に官幣大社に列しています。
現在は羽黒山の旧羽黒山神社の社殿が出羽三山神社三神合祭殿として羽黒神、月山神、湯殿山神の3神が祀られています。又、月山頂上に鎮座する月山神社本宮として現在も数多くの参拝者を受け入れています。祭神:月読命。
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