出羽松山城(酒田市)概要: 出羽松山城は山形県酒田市字新屋敷に位置する近世の城郭です。庄内藩酒井家14万石は正保4年(1647)、中山村を含む35ヶ村、村山郡中左澤地方74ヶ村併せて2万石を持って支藩の創立を幕府に願い出て許可され松山藩が立藩します。それを受け寛文元年(1661)に元々佐藤伊勢守正信が築いた中山館の跡地に陣屋を築き、藩庁と藩主居館を設け寛文2年(1662)に初代松山藩主酒井忠恒が移り住み、地名を中山から松山に改称しています。
当初は2万石の大名ながら城持とは認められず、陣屋構の居館で政務を取り仕切っていましたが三代藩主酒井忠休は幕閣に入り若年寄の地位まで登りつめた為、5千石を加増され、さらに城持大名へと格上げとなり築城の許可を得る事が出来ました。築城の縄張りは庄内藩の軍師 長坂十太夫正逸為があたり天明元年(1781)から天明7年(1787)までの6年間という長い年月を工事に費やしました。
戊辰戦争では松山藩は庄内藩と共に奥羽越列藩同盟に加担した為、隣接する矢島藩、秋田藩などに敗北を喫し、降伏後に松山城は大手門を残し廃城となりました。現在残っている大手門は寛政2年(1790)に落雷により焼失したものを酒田の豪商本間家が寄進し寛政4年(1792)に再建したもので、入母屋、桟瓦葺、桁行5間、梁間3間、櫓門、上層部は白漆喰仕上げ、下層部は縦板張、山形県内に残る唯一の城門建築(楼門建築)として大変貴重な事から昭和45年(1970)に山形県指定有形文化財に指定されています。城跡は改変が進み、水掘と土塁の一部が残されているのみですが「松山城本丸の土手」として昭和56年(1981)に酒田市指定史跡に指定されています。
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