新田目城(酒田市)概要: 新田目城は山形県酒田市本楯新田目に位置する中世の城郭です。新田目城の築城年は不詳ですが奈良時代末期、出羽国の中心的な役割を持った城輪柵(出羽国府説が有力)の国司を補佐する「留守殿」の居館として築かれたのが始まりと推定されています。城輪柵からは西北西約1.5kmの場所に位置し、源義家が出羽国留守職として康平5年(1062)に須藤氏を派遣すると、須藤氏によって居館として改修され、須藤主馬首助清はここを拠点として後三年合戦(1087〜1094年)に従軍し活躍しています。
その後、須藤氏はその役職から留守氏を名乗るようになり長くこの地を支配し、戦国時代に入ると周辺の有力大名に従う事で命脈を保ちました。慶長5年(1600)の関が原の合戦の際、当時の庄内領主上杉家に従い西軍に付いた為、連座し所領を没収され、その後は最上家の持城になったと思われますが、慶長20年(1615)に発令された一国一城令を受け元和年間(1615〜1624年)に廃城になっています。
現在でも水掘や土塁の一部が残り山形県内に残る居館跡で明確なものとしては最古とされ昭和32年(1957)に山形県指定史跡に指定されています。新田目城は東西70〜90間、南北50〜60間の平城で現在は主郭が大物忌神社境内、酒田市北部農民センター、2の郭などは住宅地として開発されています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-山形県教育委員会・酒田市教育委員会
・ 現地案内板-酒田市教育委員会
|
|