延命寺(酒田市)概要: 生石山延命寺は山形県酒田市生石大森山に境内を構えている真言宗智山派の寺院です。延命寺の創建は不詳ですが平安時代には既に天台宗の寺院として存在し弘法大師空海により開かれたとの伝承も残っています。
一方、境内には生石神社が鎮座している事から生石神社の別当寺院として開創された可能性もあります。
寺運は隆盛に最盛期には末寺18ヵ寺、宿坊3千坊を擁し、密教の修験道場として出羽三山を凌駕する程だったとされ天喜年間(1053〜1058年)には源頼家が前九年合戦の戦勝祈願を行い「大般若経」転読を命じたと伝えられています。
南北朝時代には南朝方に属し正平10年(1355)藤島城の戦い敗北し、藤島城が落城すると守永親王(宇津峰宮:後醍醐天皇の孫)を奉じた北畠顕信を一時匿ったとも云えられ、境内一帯は城館遺構があり、その当時に整備されたとも推定されています。
その後一時衰退しますが元亀元年(1570)、大日山長宗上人が当地に巡錫で訪れた際、白山権現の化身と思われる白峰久治が現れ、現在の境内地まで導くと観世音菩薩が突如として出現した事から霊地と悟り再興しました。
慶長10年(1606)、大日山及海上人代に概ね伽藍が完成し、慶長15年(1611)に「生石山介王院延命寺」と号するようになりました。当時の領主である最上義光も庇護し、慶長17年(1613)には鎮守社である八幡神社に社領を寄進、平田郷十八カ村の総社として崇敬されました。
秘仏である「聖観音菩薩」は60年毎の御開帳。参道から境内にかけては鎌倉時代から室町時代の板碑(板石塔婆)約40基建立され、その内、資料的、歴史的価値のある34基が昭和28年(1953)に山形県指定有形文化財(考古資料)に指定されています。
庄内三十三観音霊場第18番札所(札所本尊:聖観世音菩薩・御詠歌:あらたなる のりのしるしに おほいしの おもきさはりも いまはのこらず)。荘内平和観音百八霊場第26番札所(札所本尊:聖観世音菩薩・御詠歌:夢かよと 重きを軽く 負いし山 これや仏の 身代わりと知れ)。山号:生石山宗派:真言宗智山派(智積院の末寺)。本尊:不動明王。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-山形県教育委員会・酒田市教育委員会
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