旧渋谷家住宅(鶴岡市)概要: 旧渋谷家住宅は文政5年(1822)に朝日村の田麦俣に建てられた多層民家です(大黒柱のホゾに文政五年の墨書)。日本海沿岸部で見られる中門造りとは異なり、寄棟の大屋根内部を2層、3層と仕切り、養蚕を飼育できる空間としていました。
当然、採光や通風が必要となる為、寄棟の妻面側を垂直に切り落とし開口部(高ハッポウ)を設ける事でそれらを賄い、「かぶと造」という独特の形式が生まれました。
田麦俣は六十里越街道の宿場町的な集落で出羽三山登拝への拠点の1つとして往時は先導を担う家が殆どでしたが明治時代初頭に発令された神仏分離令と廃仏毀釈運動、修験道廃止令により出羽三山の信仰が衰退すると田麦俣を利用する信者や参拝者が激減し、それに応じて集落では、養蚕を生業とする農家が増えた為、旧来の農家建築に手を加えていったと思われます。
旧渋谷家住宅の建物は木造一重3階建、寄棟(兜造)、茅葺、妻入、煙り出し付、桁行15.4m(8間半)、梁間10.9m(6間)、高さ10.31m、建築面積157u、延床面積336u。
旧渋谷家住宅は江戸時代後期に建てられた多層民家の遺構として大変貴重な事から昭和44年(1969)に国指定重要文化財に指定されています。現在は昭和40年(1965)に致道博物館へ移築され一般公開されています。
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