安久津八幡神社(茅葺屋根)

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安久津八幡神社

安久津八幡神社(茅葺屋根:本殿・拝殿・神楽殿)
安久津八幡神社概要: 安久津八幡神社(山形県高畠町)の境内周辺には縄文時代の遺跡が見られる一方で安久津古墳群(北目古墳群・羽山古墳群・源福寺古墳群・加茂山洞窟古墳・安久津古墳群・味噌根古墳群・鳥居町古墳群の総称)と呼ばれる小規模な古墳が数多く点在しています。何れも古墳時代後期から末期に築造されたもので8世紀成立前後に安久津を本拠とした豪族が存在し豊かな土地柄だった事が窺えます。特に安久津八幡神社の参道沿いに存在する鳥居町古墳群は八幡山の中腹まで連ねている事からも、八幡山自体が豪族の聖地として信仰の対象になったと思われます。社伝によると平安時代の貞観2年(860)に慈覚大師円仁が当地の豪族である安久津磐三郎の協力を得て阿弥陀堂を設けたのが安久津八幡神社の前身としていますが、実際は安久津氏の聖地の司祭施設や氏寺的要素のある寺院が設けられたのが発生起源と思われます(元々の安久津八幡神社の本殿は八幡山の中腹に鎮座していた)。上記の伝説は二口峠(磐司岩:山形県山形市大字山寺と宮城県仙台市太白区秋保町大字馬場に接する峠)に巣食う磐司磐三郎が慈覚大師円仁の説教により改心し山寺立石寺(山形県山形市)の開山に尽力した伝説に酷似し、影響を受けたと思われます。

具体的に八幡神が祭られるのは平安時代後期に前九年合戦(1051〜1062年)が発生した際、その平定の為に派遣された源義家が阿弥陀堂で戦勝祈願を行い、その後に八幡神を勧請したと伝わっていますが、前九年合戦の主戦場は現在の岩手県で、当然陸奥国府が置かれた多賀城(宮城県多賀城市)を拠点として征伐軍が派兵されと考えるのが通説とされ(秋田県側の兵力は地元豪族)、さらに、主力として活躍したのは義家の父親である源頼義である事からやや説得性にかけます。その後に行われた後三年合戦(1083〜1087年)の主戦場は秋田県南部で、主力となったのが源義家で安久津八幡神社の境内に湧き出る弘法水には「片葉の葦」という伝説が残されています。その伝説は義家の家臣である鎌倉権五郎景政が敵の弓矢で片目を射抜かれ負傷し、凱旋の際当社に立ち寄り弘法水で眼を洗った後は片葉の葦が生えるようになったというあらすじです。実は後三年合戦で最大の激戦地となった金沢柵(秋田県横手市)の跡地に鎮座する金沢八幡宮の麓に流れる厨川にも鎌倉権五郎景政が片目を射抜かれ、川の水で傷口を洗ったところ片目のカジカが採れるようになったとの伝説が残されています。これらの事から、本来は後三年合戦の故事が主体的な伝説だったと思われます。

安久津八幡神社の資料として明白なのは当社で修行していた鎌倉時代の能海・堪忍等の写経筆跡が金沢文庫(神奈川県横浜市金沢区)に残されている事で、少なくとも当時は全国から修行僧が集まる程の大寺院だった事が推察され、明応9年(1500)に伊達尚宗が社殿を再建した事が棟札に明記されている事から領主から篤く庇護されていた思われます。伊達尚宗は伊達家13代当主で、当時の伊達家は高畠城を本拠としていた事から、安久津八幡神社は高畠城の城主時代の伊達家の崇敬社として信仰の対象になっていた事が窺えます。又、尚宗は延徳2年(1490)に米沢城の北方鎮護の塩野毘沙門堂を再建している事からも文化的事業に積極的な人物だったと思われます。又、伊達家の家老である片倉家(片倉小十郎は伊達政宗の片腕とも呼ばれた)は米沢八幡宮の神官家出身だったとされ、その八幡神社は安久津八幡神社説と成島八幡神社(山形県米沢市)説があるそうです(その後の伊達家との繋がりを考えると成島八幡神社の方が有力と思われます)。慶長3年(1598)に上杉領になると米沢城の城主となった直江兼続が社領50石を寄進し、江戸時代に米沢藩が立藩すると元和3年(1617)に初代藩主上杉景勝が拝殿、寛永7年(1630)には2代藩主上杉定勝が本殿を再建しています。現在の本殿は宝暦5年(1755)に9代藩主上杉重定が造営したもので山形県指定文化財に指定されています。安久津八幡神社の本殿、拝殿、神楽殿は何れも茅葺屋根の古建築物で、古社の雰囲気が感じられます。又、安久津八幡神社は古くから神仏習合し最盛期には別当寺院である神宮寺をはじめ、学頭金蔵院、衆徒頭千殊院など僧坊12坊を擁していましたが、明治時代の神仏分離令により、それらの寺院は廃寺となり、仏像の一部は近隣にある亀岡文殊堂(大聖寺)に遷されました。現在、安久津八幡神社の境内に残されている三重塔(山形県指定文化財)や、岩駒稲荷の本殿の傍らにある石仏、子育地蔵尊など神仏習合時代の名残が見られます。

山形県の茅葺屋根建築
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