平塩熊野神社

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概要・歴史・観光・見所

平塩熊野神社(寒河江市)概要: 平塩熊野神社は山形県寒河江市大字平塩に鎮座している神社です。平塩熊野神社の創建は養老5年(721)に行基菩薩(奈良時代の高僧)が紀伊熊野三所権現から勧請したのが始まりと伝えられています。

前九年の合戦の折、源頼義・義家父子が戦勝祈願を行い、見事念願成就した事から神意に感謝し康平5年(1061)に社領と神鏡を寄進し、続く後三年合戦でも勝利を収めたので応徳3年(1086)に社殿の造営が行われました。中世に入ると大井荘の地頭となった大井氏の崇敬社と庇護され、後年には家臣である長崎中山氏が領主となり長く当社を庇護しました。

戦国時代末期に大江氏が最上氏の侵攻により滅ぶと、中山氏は最上氏に転じ、元和8年(1622)に最上家が御家騒動の為改易になると、中山氏も連座します。その後は幕府から庇護され149石の社領が安堵され朱印状を賜っています。

古くから神仏習合し、境内は本社である熊野大社に準じ熊野三神の本地仏をそれぞれ護摩堂・内御堂・如法堂に祀っていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により形式上は仏教色が一掃され、如法堂の後継である平塩寺だけが寺院に転じて改めてを創建しています。

廃仏毀釈運動が沈静化すると、避難させていた平安後期作と推定される十王像(2躯:閻魔王像:座高133.5cm、像高166.3cm・太山府君又は五道大神:座高121.8cm、像高154.0cm)や吉祥天像など拝殿に戻され当時の様子を伝えています。

4月に行われる例祭では古来から伝わる平塩舞楽(山形県無形民俗文化財)が奉納され、振鉾・散手・太平樂・安摩・二の舞・三台塩・還城楽・抜頭・蘭陵王・納蘇利の10番が舞われます。平塩熊野神社境内には鐘楼や隣接して別当の平塩寺があり神仏混合時代の名残が見られます。

平塩寺は山形百八地蔵尊霊場第57番札所(札所本尊:延命地蔵・本尊:阿弥陀如来)。祭神:素盞嗚尊、伊弉冉命、伊弉諾尊。社格:郷社。

平塩熊野神社の文化財
・ 木造伝十王坐像(2躯)−平安時代後期−山形県指定文化財
・ 平塩舞楽−毎年4月3日例祭で奉納−山形県指定無形民俗文化財
・ 木造吉祥天立像−寒河江市指定文化財
・ 木造菩薩形立像−寒河江市指定文化財
・ 鉄製仏餉鉢−寒河江市指定文化財
・ 鉄製燭台(月山作)−寒河江市指定文化財
・ 絹本著色阿弥陀如来画像−寒河江市指定文化財

平塩寺の文化財
・ 木造阿弥陀如来坐像及両脇侍菩薩立像−寒河江市指定文化財

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-山形県教育委員会・寒河江市教育委員会

平塩熊野神社:写真

平塩熊野神社
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