庄内町: 御諸皇子神社

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概要・歴史・観光・見所
御諸皇子神社(庄内町)概要: 御諸皇子神社の創建は不明ですが、「義経記(室町時代前後に書かれた軍記物語で資料的価値は低いとされている。)」には源義経が奥州平泉(岩手県平泉町)へ逃れる途中立ち寄った神社というと事で名が記されている事からもかなり由緒ある古社だったと思われます。近世に入ると庄内藩主である酒井氏の崇敬社となり、寛文2年(1662)に社殿の再建を行い、元禄13年(1700)には神楽殿を造営しました。社殿の増改修工事に掛かった費用は総て藩費で賄ったという事で藩内でも有数な神社に数えられ、周囲からも信仰が厚かったと言われています。境内地である清川庄内藩の参勤交代の経路にあたり新庄藩との藩境を控えていた為に番所が設けられた重要視された土地柄で、その鎮守で御諸皇子神社は領内の出入口を守護する役割を持ったと思われます。

御諸皇子神社は所謂、神仏混合の形態を取っており、現在でも鳥居の奥には神社山門(神門)があり、内部には製作期間が宝暦9年(1759)から宝暦11年(1761)までの2年間もかかったたという伊藤権吉作の金剛力士像(像高約380cm、寄木造、弁柄色)が安置されています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色の金剛力士像は別当寺院だった思われる歓喜寺に移されましたが、廃仏毀釈運動が沈静化した昭和5年(1930)に再び御諸皇子神社に遷されています。木造金剛力士像は作者や製作年が明確で、江戸時代中期の数少ない大型仏像の遺構として貴重な事から昭和52年(1977)に庄内町(旧立川町)指定有形文化財に指定されています。

御諸皇子神社社殿は拝殿と本殿が一体化しているもので入母屋、銅板葺、平入、桁行3間、正面1間軒唐破風向拝付、外壁は真壁造り板張り弁柄色、向拝には象や獅子、龍、鳳凰など精緻な彫刻が施されています。神社山門(神門)は寄棟、銅板葺、三間一戸、八脚単層門、外壁は真壁造り板張り、木部朱塗り、左右には木造金剛力士像が安置されています。又、境内にある末社の稲荷神社は安土桃山時代の建築とされています。社格:郷社。祭神:御諸別命。

御諸皇子神社:写真

御諸皇子神社
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