十六羅漢岩(遊佐町)概要: 十六羅漢岩は山形県飽海郡遊佐町吹浦西楯に位置しています。十六羅漢岩は海禅寺(庄内三十三観音霊場第16番札所)二十一世の石川寛海和尚の発願で元治元年(1864)から明治元年(1868)までの5年間で完工した22体の磨崖仏です。
当時の吹浦は漁業中心で生計を立てている家が多く、毎年、遭難者や海の事故や被害が後を絶たなかった事から、寛海和尚は日本海に面し、奇形奇岩が多く景勝地であるこの地に羅漢像を彫り込む事で犠牲者の供養と海上安全を祈願する為に懇願しました。
寛海和尚は酒田に托鉢を求め、一両集まる毎に1体の石仏を石工と共に彫り込み、正面に釈迦牟尼、文殊、普賢を配し、その周囲に十六羅漢(一般的な十六羅漢は:賓度羅跋だ惰闍・迦諾迦伐蹉・迦諾迦跋釐堕闍・蘇頻陀・諾距羅・跋陀羅・迦哩迦・伐闍羅弗多羅・戎博迦・半託迦・ら怙羅・那伽犀那・因掲陀・伐那婆斯・阿氏多・注荼半諾迦)で取り囲むといった偉業を成就しました。
石仏は岩の形や地形に合わせた独特なもので、仏によってはかなりユニークなものもあり多種多様に富んでいます。道路の拡幅の為、数体の仏像がコンクリートに囲まれているものあり、時代の変遷も見る事が出来ます。
寛海和尚は享和元年(1801)に旧荒瀬町(酒田市)に生まれ峰鷲院(曹洞宗:酒田市亀ケ崎)の孤山に師事、その後、峰鷲院四世を経て海禅寺二十一世となり、明治4年(1871)享年71歳の時に日本海に身を投げ入滅しました。
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