長登観音(西川町)概要: 長登観音の創建は天平3年(731)に行基菩薩(奈良時代の高僧)が十一面観音像を彫り上げ安置した事が始まりとされています。
伝承によると、紀州那智の浦(和歌山県那智勝浦町)に霊木が流れ着き、行基はその霊木から阿弥陀如来、薬師如来、多聞天、持国天、十一面観音の仏像をそれぞれ1躯づつ彫刻、当地が霊地だった事からその中の十一面観音が勧請され、天平3年(731)に本格的な寺院として伽藍が整備され開山したと伝えられています。
当初は2キロ程離れた山頂に安置され、神仏混合形式を取っていていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により別当だった長登家は神官となった為、十一面観音像は土蔵の中に納められました。
その後一旦は長流寺で祀られましたが、明治31年(1898)の火災により堂宇が焼失、本尊も被害を受け以後秘佛として人前で祭られる事はありませんでした。しかし、多くの信者が参拝に訪れた為、明治38年(1905)に長登家の所有する敷地内に遷座し、大正15年(1926)に現在地に堂宇を建立しました。
最上三十三観音霊場第17番札所(札所本尊:十一面観世音菩薩、伝:行基菩薩作・御詠歌:やまをわけ きしをつたひて ながのぼり はなのうてなに いたるなるらん)。宗派:真言宗。別当寺院:寒江山長登寺。
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