銀山温泉(歴史)概要
銀山温泉は大正時代の大洪水で壊滅的な被害を受け、その後同時期に湯宿が建替えられた為、大正時代から昭和初期にかけての建物が軒を連ね、当時の温泉街の町並みが残されています。特に能登屋旅館は意匠にも優れ当時の大型温泉旅館の遺構として貴重な事から国登録有形文化財に登録されています。温泉街に流れる銀山川は風致に富、山形県出身の斎藤茂吉(明治時代から昭和初期にかけての日本の歌人)も銀山温泉に湯治に訪れ、銀山川の上流にある白銀の滝や籟音の滝、洗心峡、長蛇渓などを散策し「 蝉のこゑ ひびかふころに 文殊谷 吾もわたりて 古へおもほゆ 」の歌を残しています。銀山川のさらに上流は延沢銀山の跡地です。延沢銀山は室町時代に加賀国金沢出身の儀賀市郎左衛門が発見した銀山で、戦国時代に入ると当時の領主延沢氏により本格的に開発され、主家である最上家を通して、豊臣秀吉に上納されています。江戸時代初期の山形藩主鳥居氏の時代に最盛期を向かえ日本三大銀山に数えられる程の量を産出し、麓には数多くの工夫が住む鉱山町が発展し、寺院や代官所なども設けられました。延沢銀山は江戸時代中期以降減産が続き閉山しましたが、現在でも坑道跡や疎水孔口、鉱山の守護神である山の神神社、延沢氏の居城である延沢城などの遺構が残り国指定史跡に指定されています。
銀山温泉周辺案内:能登屋旅館・延沢銀山(銀鉱洞)・白銀の滝・籟音の滝・滝の不動尊・疎水孔口・延命寺・山の神神社
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