真室川町の町並みと歴史建築

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真室川町
最上郡:真室川町
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最上郡真室川町概要: 真室川町は古くから人が住み着いた場所とされ町内には数多くの縄文時代の遺跡がありました。中世に入ると真室川町が雄勝郡に接していた為、軍事的に重要視され、横手城横手市)を本拠とする小野寺氏は最上侵攻の足がかりとして家臣である鮭延貞綱を配します。貞綱は当初、岩花城に入り武藤氏に備えますが永禄6年(1563)に行なわれた庄内合戦で敗北し、鮭延城(真室川町)まで後退します。貞綱は城郭や城下町の整備など現在の真室川町の原形となる町づくりを積極的に行いますが、天正9年(1581)に最上氏の侵攻が始まります。当時の城主だった秀綱は激戦を繰り広げますが領地安堵を条件に降伏、以後は最上氏に臣従し有力家臣として頭角をあらわしていきます。対小野寺氏の先鋒となった秀綱は湯沢城(湯沢市)の攻略など雄勝郡に侵攻し、関ヶ原の戦いでは上山城に入り上杉勢の背後をつくなど戦功を重ね1万1千500石まで家禄を増やします。しかし、元和8年に楯岡氏とともに最上義光の四男山野辺義忠を擁立し最上家の家督争いを起こした為、最上家は改易となり秀綱も土井家に預りの身となります。その後、真室川町一帯を含む最上郡は戸沢氏が6万石で所領し、当初は鮭延城に入り政務を行ないましたが、領地としては北側に偏り、周囲を山地で囲まれているなどの理由から本城を新庄城に定めます。1国1城令が発せられると鮭延城は廃城となり次第に重要性が失われていきます。又、真室川町の北方に位置する及位集落には羽州街道が通り新庄藩の御境目番所が置かれ人物改めや荷物改めなどが行なわれています。戊辰戦争では秋田藩を中心とする官軍と仙台藩を中心とする奥羽越列藩同盟側の激戦地となり「戊辰の古戦場跡」の石碑が及位駅付近に建てられています。

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