遠賀神社

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概要・歴史・観光・見所

遠賀神社(鶴岡市)概要: 遠賀神社は山形県鶴岡市井岡和田に鎮座している神社です。遠賀神社の創建は不詳で当初は岡山の岩台に鎮座していたそうですが天長2年(825)に淳和天皇の皇子である基貞(源楽上人)が現在地へ遷座し堂宇を建立しました。

延喜式神名帳に記載された式内社ですが早くから神仏混合していて阿迦井坊遠賀野井寺と称していました。平安時代後期には勢力も拡大し、七堂伽藍と三十三坊を備えた大寺院として名を馳せるまでなったといわれています。

中世は、周辺を支配していた武藤氏の庇護となり建仁3年(1203)に寺領などが寄進されますが、戦国時代になると兵火に巻き込まれ多くの建物や寺宝などが焼失しています。

慶長6年(1601)になると領主となった最上義光が堂宇を再建し寺領172石を寄進するなど最上氏の庇護を受け、十一面観音、正観音、薬師如来などの仏像や神楽太鼓や神輿といったものまで奉納します。

元和8年(1622)最上氏が改易されると新しく鶴ヶ岡城主となった酒井氏から庇護され、寺領は安堵され、藩主が直接挨拶や祈祷を行い、堂宇の改修や再建に力を貸したといわれています。

明治初頭に発令された神仏分離令により別当だった井岡寺と分かれる事になり、名称も延喜式遠賀神社と改名し明治9年(1876)に郷社に列しました。

明治11年(1878)に火災となり、多くの建物や社宝などが焼失して、現在の遠賀神社本殿は明治15年(1882)、拝殿は同41年(1908)に再建されたものです。遠賀神社本殿は一間社流造、銅板葺き、外壁は真壁造り板張り。拝殿は木造平屋建て、入母屋、正面千鳥破風、桟瓦葺き、平入、桁行3間、張間2間、外壁は真壁造り板張り、外壁正面には「遠賀社」の社号額が掲げられています。

祭神:豊受大神、鳴雷神、高オカ神、和久産巣日神、大山祇神、猿田彦大神。

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(由緒)-遠賀神社

遠賀神社:写真

遠賀神社
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