出羽三山(宿坊町・門前町):羽黒町手向集落・町並み

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出羽三山・町並み
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【出羽三山】−羽黒町手向集落(山形県鶴岡市)は出羽三山(月山:標高1980m、阿弥陀如来・羽黒山:標高412m、聖観音・湯殿山:標高1504m、大日如来)の一翼を担った羽黒山の門前町、宿坊町として発展した町です。出羽三山(山形県鶴岡市)は「三関三渡」の信仰を説き、羽黒山は現在を司り、月山は過去を司り、湯殿山は未来を司る事から、この3つの山を全て登拝し満願成就するという教えが全国に広がり、数多くの参拝者、登拝者が出羽三山を目指しました。その際に宿泊や休息所として利用したのが宿坊で、当時は霞場と呼ばれる決まり事があり、宿坊と契約した先達が全国に散らばり布教し、それで獲得した信者は必ずその宿坊を定宿とする事が定められていました。先達の布教先も厳格に地域の区画割りが成されていた為、参拝者や登拝者は出身地で概ね利用する宿坊が決められ、ある意味信者の争奪戦が無いように運営されていました。当時の出羽三山には深い戒律があり山内(現在の出羽三山神社の随神門より内部)で宿坊を営む修験僧は「清僧修験」と呼ばれ妻帯禁止、肉食禁止が義務付けられ、それが満たされない修験者は「妻帯修験」と呼ばれ、この羽黒町手向集落で宿坊を営んでいました。

現在は修験僧が営む宿坊や正善院、金剛樹院、峰薬師神社などが町並みを形成していますが、往時は、参拝者を相手とする商店も多く一大門前町として活況を呈し、長さが5〜6町、上四町、下四町に分けられ、それぞれ組頭が選定され、確立した組織運営が成されていました。往時は300軒余あった宿坊も、明治時代初頭に発令された神仏分離令と、その後に吹き荒れた廃仏毀釈運動、明治5年(1872)に発令された修験禁止令により30軒((善学坊、養清坊、宝積坊、小関坊、明光院、正伝坊、勝木坊、壇所院、太田坊、宮下坊、宮田坊、奥井坊、東林坊、春照坊、双林坊、大聖坊、薬師坊、田村坊、大進坊、三光院、三山大愛教会、桜林坊、生田坊、眞田延命院、大江坊、小林坊、神林坊、東光院)前後に減少し、宿坊町も衰微しました。

宿坊は当時の神仏習合の名残が見られ、建物自体は仏教色が強い印象を受ける一方、冠木門には注連縄を張り、道路側の外壁には綱飾りを掛けています。綱飾りは「延し綱」の別称があり、出羽三山神社の年越し神事で利用された縄を使用して魔除けとしたもので羽黒町手向集落の宿坊の特徴の1つとなっています。又、出羽三山では神仏の上で金物を使う事が固く禁じられていた為、屋根は茅葺で、その茅も屋根上で揃えたり、整えたりする際にも金物を使用する事が許されませんでした。さらに、宿坊では一般的に、入口は2つあり、身を清めた参拝者と一般の生活で利用する出入口は分けられ、空間的な演出も行われました。

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