銀山温泉(温泉街)・町並み

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銀山温泉・町並み
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【銀山温泉】銀山温泉(山形県尾花沢市)は江戸時代初期の寛永年間(1624〜1643年)に延沢銀山で働く労働者が銀山川の川辺から源泉が湧出ているのを発見したのが始まりとされます。延沢銀山は室町時代の康正2年(1456)に加賀儀賀市朗左ェ門が出羽三山を参拝する為に軽井沢宿で宿泊した際、仙人の化身と思われる正装した白髪の老人が夢枕に出現し、銀鉱脈のある場所を告げられ発見された銀山で、戦国時代に領主である延沢氏により本格的な採掘が始まりました。延沢氏が最上家に従った後は最上家(山形城の城主)の主要銀山として、産出された銀が豊臣秀吉にも献上され大きく貢献しました。元和8年(1622)に最上家が改易になり、新たに新庄藩(藩庁:新庄城)に属したものの、藩主戸沢氏は、親戚筋の有力譜代大名山形藩主鳥井氏に遠慮し、山形藩の領地替えに従っています。しかし、その鳥居氏も寛永5年(1628)に改易、延沢銀山は天領として幕府が直接採掘を経営した事で、飛躍的に産出量が増大し、半田銀山(福島県国見町/桑折町)、石見銀山(島根県大田市大森町)、生野銀山(兵庫県朝来市生野町)、院内銀山(秋田県湯沢市院内町)と共に日本三大銀山に数えられ、鉱山町には多数の寺社仏閣が建ち並び、2万人もの人口を抱えていたとされます。しかし、最盛期は長く無く元禄2年(1689)に坑道が崩落した事を受けて、元禄15年(1703)には村請負になり大規模な採掘は行われる事が無くなりました。

銀山温泉は太平洋側の出羽街道の宿場町である中新田宿(宮城県加美町)と羽州街道の尾花沢宿(山形県尾花沢市)を結ぶ最上海道(街道)軽井沢越え(銀山道)の街道筋でもあった為、次第に湯治場として利用する人も増え、寛保年間(1741〜1743年)頃には温泉街として整備されてきたとされます。しかし、銀山温泉は正式な宿場町では無かった為、形式的には街道利用者の宿泊が認められず、宿場として認めらていた上ノ畑宿とは宿泊者や賃金などで度々問題となっています(街道利用者が銀山温泉に宿泊した場合には宿泊料の一部が上ノ畑宿に支払う制度になっていたようです)。江戸時代後期には名泉として全国でも知られるようになり、当時の温泉功能を番付にした「諸国温泉功能鑑」では「最上銀山の湯」や「羽州最上銀山ノ温泉」として東方の前頭に格付けされ、地元では「摂津有馬の温泉は、金の楯より湧き出づるゆえ、日本一の名湯であり、ここ銀山は銀の楯より湧き出づるゆえ、日本第二の名湯なり」と歌われています。

大正2年(1913)に銀山川が大洪水となり温泉街は大破、これにより温泉街の再建が図られた為、大正時代から昭和初期の旅館建築が集中して建てられた現在見られる大正ロマンが感じられる温泉街の町並みが造り出されていきました。当時の銀山温泉は歓楽街的な要素も強かった事から、当時の洋風建築の要素を取り入れた楼閣風の意匠や、派手な鏝絵を施した戸袋や看板、3から4階建の木造多層建築などが軒を連ね、全国的にも稀な温泉街となりました。

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