新庄藩船番所(戸沢村)概要: 新庄藩船番所は戸沢氏が領主になって から整備された船番所です。特に古口はこれ以降の川下が最上峡だった為、新庄藩内の最西端の船着場で、陸路もなかったので、旅人などは古口で舟に乗り換えなければなりませんでした。新庄藩ではこの場所を重要視して番所を設け、川舟荷物の出入りの監視や人物改めなどを行わせました。番所役人は新庄藩では中級武士以上である200石と2本の脇差を許すなど重要任務として捉えていました。明治維新後は全国の関所を廃止する事になり新庄藩船番所も時を同じくして廃止となっています。古口の川港の立場はしばらく続きますが、鉄道が敷かれると最上川舟運の衰退が始まり、川港として発展した町も以前ほど活気がなくなりました。
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