最上郡戸沢村(歴史)概要: 戸沢村の歴史は古く延喜式で定められた水駅が設置されていたとされ「佐藝駅、駅馬四疋、船十隻」と書かれています。陸奥国府だった多賀城と出羽国府の城輪柵を結ぶ街道として重要視されていましたが最上峡の地形的条件が厳しかった為、陸路を開削する事が出来ず明治時代に入るまで水路で最上川下流の清川を結んでいました。江戸時代に入ると新庄藩の領地となり古口には船番所が設けられます。古口は領内最西端の川港で、これ以降は清川まで水路となるため、多くの物資や旅人が積み下ろしや乗り換えを行い繁栄したと言われています。明治時代に入ると国道47号線、陸羽西線が開通すると最上川舟運は急速に衰退していきました。戸沢村を通る最上川には多くの文人墨客が訪れていて、古くは源義経一行が平泉下向の際、最上川を東上し、江戸時代には松尾芭蕉が奥の細道でも最上川を利用しています。
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