松尾芭蕉の奥の細道の足跡

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奥の細道・山形県編

奥の細道・概要: 松尾芭蕉は元禄2年(1689)旧暦3月27日、門人河合曾良と共に、江戸深川の居宅である芭蕉庵を出立し「奥の細道」の行脚の旅を始めました。「奥の細道」の主な目的は西行法師や能因法師等多くの文人墨客が和歌などの作品で利用した歌枕の題材となった景勝地や旧跡を実際、自分の目で見て感じる事が第一としました。又、源義経に興味を覚え旧跡を訪ねたとも云われています。

山形県の歌枕の地
名 称
場 所
主な歌集−歌人
奥の細道
備 考
阿古耶の松山形市・ 夫木和歌集−読み人知らず
・ 堀河百首−読み人知らず
・ 堀河百首−源顕仲
・ 永享百首−一条兼良
・ 松下集−釈正広
・ 夫木和歌集−詠み人知らず 
×
 
最上川戸沢村
大石田町
・ 古今和歌集−読み人知らず
・ 山家集−西行
・ 後撰和歌集−三条右大臣
・ 続後撰和歌集−寂然法師
・ 夫木和歌抄−源順
・ 夫木和歌抄−西行
 
袖の浦酒田市・ 拾遺和歌集−詠み人知らず
・ 源氏物語−紫式部
・ 和泉式部日記−和泉式部
・ 小町歌集−小野小町
・ 新古今和歌集−中務
現在の宮野浦付近
うやむやの関遊佐町・ 群書類聚−詠み人知らず
・ 林葉和歌集−俊恵
・ 散木奇歌集−源俊頼
・ 明日香井和歌集−明日香井雅経
・ 土御門院御集−土御門天皇
・ 夫木和歌集−詠み人知らず
宮城・山形の県境、
笹屋峠説有り
○−俳句を詠んだ △−通過した ×−行っていない

山形県の源義経・縁の地・「義経記」と地元伝承から
名 称
場 所
出来事
奥の細道
備 考
鼠ヶ関鶴岡市・ 義経一行上陸地、関所で弁慶が枝で義経を打ちつける
 
三瀬鶴岡市・ 三瀬薬師堂で2〜3日滞在
 
田川鶴岡市・ 田川領主田川太郎実房の子供の病気を祈祷で平癒
 
羽黒山鶴岡市・ 武蔵坊弁慶1人で代参
 
清川庄内町・ 義経、弁慶合流、御諸皇子神社で饗応
 
最上川戸沢村・ 北の方、船上で和歌を詠う
 
本合海新庄市・ 義経一行上陸、矢向神社遥拝
 
亀割山新庄市・ 北の方、亀若丸(亀鶴御前)出産
×
 
瀬見温泉最上町・ 北の方産後の養生、産屋建立、弁慶源泉発見
×
 
出羽街道最上町・ 街道各地で伝承
 
○−俳句を詠んだ △−通過した ×−行っていない

山形県の足跡・概要: 一覧表にしてみると、山形県にある歌枕の地で実際に俳句を詠んだのは「最上川」のみで、「阿古耶の松」にいたってはせっかく「山寺立石寺」まで訪ねたのに足を伸ばしてもおらず、特に歌枕の地に固執したようには見受けられません。源義経の旧跡にもしても実際に俳句を詠んだといっても、義経に対して感慨をふけるでも無し、曾良日記からも窺うことが出来ません(山形県内では)。実際、松尾芭蕉は「義経記」を軍記物として捉え、事実と異なるものとして無視し、たまたま奥の細道の行程と義経の伝承地が重なっただけだったと思われます(平泉では「義経記」だけで登場し実在が疑問視されている十郎権頭兼房を偲んで、曾良が「卯の花に 兼房みゆる 白毛かな」と詠んではいますが?)。山形県では「最上川」の他、「出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)」や「山寺立石寺」など歌枕や源義経にはこだらない俳人としての感性のままに行き先を決めた俳句を詠んだように感じます。


奥の細道の足跡一覧

温海
左
大山
左
酒田
左
象潟
左
吹浦
左
酒田
左
鶴岡
左
出羽三山
左
最上川
左
新庄
左
大石田
左
山寺立石寺
左
尾花沢
左
封人の家
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