元禄2年(1689)5月17日(新暦7月3日)、松尾芭蕉は「封人の家」を出発し難所である山刀伐峠越えて昼頃に羽州街道の尾花沢宿(山形県尾花沢市)に到着。尾花沢宿では旧知である鈴木清風宅を訪ねています。その時の様子を「尾花沢にて清風といふ者を尋ぬ。かれは富める者なれど、志卑しからず。都にもをりをり通いて、さすがに旅の情をも知りたれば、日ごろとどめて、長途のいたはり、さまざまにもてなしはべる。」と奥の細道では記しています。
鈴木清風・概要: 本名は鈴木道祐、3代目島田屋八右衛門、鈴木家は源義経の家臣鈴木三郎重家一族の後裔とされ尾花沢に土着すると銀山開発などで財を成し豪商として地位を確立しています。特に3代目である鈴木清風は高値で取引された紅花を江戸や京都、大坂に下ろしていた事から「紅花大尽」との異名がある程で次ぎのような逸話が残っています。ある時、江戸の商人が結託して紅花の値段を下げるように画策すると、清風は逆手をとり、わざと紅花を人目に付く場所に集め全て焼き払いました。この話は江戸中に広がり逆に品薄を危惧して紅花の値段が吊り上りましたが、実は既に紅花は別の蔵に移されており、燃えたのは表に見える部分で大部分は木屑だったとされます。これにより清風は実利より3万両の利益を得ましたが、余分の利益は吉原の遊女など不遇を被っている人々の為に使った事から「紅花大尽」と呼ばれるようになったと伝えられています。清風は、中央との文化にも触れる機会が多く当地では文化人としても知られていました。談林派の伊藤信徳門から俳諧を学んだとされ、芭蕉も談林派と関係を持っていた事から顔見知りとなりその後に芭蕉一門となり「おくれ双六」や「稲莚」などを発表しています。「おくれ双六」では芭蕉の詠んだ「郭公まねくか麦のむら尾花」の句が載せられ、貞享2年(1685)に芭蕉が江戸小石川で催した句会でも鈴木清風も参加しています。享保6年(1721)に死去、辞世の句「本来の 磁石を知るや 春の雁」、菩提寺である念通寺(山形県尾花沢市)に葬られています。
芭蕉は5月17日当日は鈴木清風宅に宿泊したものの、翌日からは少し離れた養泉寺(山形県尾花沢市)に宿泊地を変えています。これは、芭蕉が訪れた時期が紅花の開花期に重なった為、邸宅は多くの人々があわただしく出入りして落ち着いた雰囲気が無く、清風自身も忙しく動かざるを得ない状況だったからと推定されています。養泉寺は元禄元年(1688)に本堂を再建したばかりで、まさに新築の建物に芭蕉を迎え入れた事となり、その心遣いに大変感謝しています。そこで生まれた句が・・・
・ 涼しさを わが宿にして ねまるなり
「ねまる」とは当地方の方言で、力が抜けて、だらりと、寝そべる(楽に座る・あぐらをかく)意味で、芭蕉は養泉寺で昼風呂から上がり一息入れると、まるで自分の家にいるように心に風が吹き抜けるような爽やかな気持ちになり、安堵感と開放感に包まれた様子を表現しているようです。
養泉寺・概要: 創建等は不詳ですが、江戸時代には東叡山寛永寺の直末寺であった事から尾花沢代官の庇護もあり寺運が隆盛しました。特に元和元年(1615)に観音堂が境内に移されると最上三十三観音霊場第25番札所(札所本尊:聖観世音菩薩)の別当寺院となり札所参りの参拝者が数多く訪れました。現在の本堂は明治30年(1897)に再建されたものなので芭蕉が宿泊した当時の建物ではありませんが、境内には芭蕉が使ったと伝わる井戸や宝暦12年(1762)に柴崎路水と鈴木素州によって建立された「涼塚(涼しさを わが宿にして ねまるなり)」が残されています。「涼塚」は尾花沢市指定有形文化財に指定されています。
その後の芭蕉の行動は5月19・20日は養泉寺で養生。5月21日の午前中は鈴木小三郎(東水)宅、午後は沼沢所左衛門(遊川)宅、清風宅で宿泊。5月22日は村川伊左衛門(素英)宅、養泉寺で宿泊。5月23日の夜に歌川仁左衛門(秋調)宅、清風宅で宿泊。5月24日は高野平右衛門(一栄)宅で歌会、夜は養泉寺で田中藤十良(一橋)と饗応、養泉寺で宿泊。5月25日は歌川仁左衛門(秋調)宅で「庚申待」、養泉寺で宿泊。5月26日は沼沢所左衛門(遊川)宅、養泉寺で宿泊。結果的に尾花沢宿では清風宅で3泊、養泉寺で7泊、合計10泊しそこで生まれた句が・・・
・ 這出よ かひやが下の ひきの声
芭蕉が尾花沢で訪れたと思われる蚕を飼っている小屋の床下で、恋を奏でるヒキガエルの声を聞き、恥ずかしがらないで、こちらに来て顔を見せて欲しい、といった意味と思われます。もう一句・・・・
・ まゆはきを 俤にして 紅粉の花
芭蕉が訪れた時期は丁度紅花の開花期に重なった為、紅花の畑を見学したのかも知れません。その際、紅花の花弁の形状が眉掃き(おしろいをつけたあと、眉を払うのに用いる小さな刷毛)のようで、風で揺れるとまるで女性が化粧をしているようにも見えて美しいことだなー、といった意味と思われます。
|