封人の家(山形県最上町境田)

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奥の細道・山形県編

元禄2年(1689)5月15日(新暦7月1日)、取締りの厳しかった尿前の関(宮城県大崎市)を超えて山中に入った松尾芭蕉・河合曾良一行は予想以上に時間がかかり、中山峠を越えたあたりで暗くなったので境田(山形県最上町)にある「封人の家」に宿を求めました。さらに悪い事に翌日も雨が降り続いた事でさらにもう一泊「封人の家」で宿泊しています。本来ならば、中新田(宮城県加美町)から中羽街道を経て尾花沢(山形県尾花沢市)に抜ける予定だったらしいですが、なかなか厳しい峠道が続くとの助言を得て急遽出羽街道を利用する事になっています。その為に手形等に不備があったらしく尿前の関では、一般庶民の交通量が少ない事もあって必要以上に嫌疑がかけられやっと関所を通過したと思ったら「封人の家」では2日の足止めとなっています。その為、かなり不機嫌、又は時間が長く感じられたのか「奥の細道」では「封人の家」では3日間の滞在と実際よりも1日長く居たと表現しています。そこで生まれた句が・・・

・ 蚤虱 馬の尿する 枕もと

句の意味は文字通り、私の寝床には「蚤(ノミ)」や「虱(シラミ)」だけでなく「馬の尿(オシッコ)」の音で大合唱となり、中々寝付けない夜だなあーと半ば諦めの気持ちの中にも、微笑ましく憎めない、布団の中にいる芭蕉の気持ちが伝わってくるような内容となっています。明治時代初期に、やはり「蚤」や「虱」、強烈な「匂い」により何日間も安眠出来なかったイギリス出身の女性紀行家イザベラ・バードの「日本奥地紀行」が思いおこされますが、江戸時代の農家では人と牛馬が1つ屋根の中で生活する事は普通の事で、都市部の旅籠などと比べると不衛生で、匂いや壁や床のじめっとした独特の肌触り、飛び交う小虫など慣れない人にとっては何とも形容しがたい体験だったと思われます。性別や時代背景は大きく異なりますが、イザベラ・バードはかなり嫌悪感を感じ直接的に表現していますが、松尾芭蕉はそれらを含めて旅を楽しんでいるようにも見えます。

封人の家:全景 封人の家:玄関 封人の家:外壁 封人の家:庭園

元禄2年(1689)5月17日(新暦7月3日)、この日は快晴となり、尾花沢に出発、「封人の家」の主人から、峠を越えたあたりから街道と言っても道が定まらず迷う危険性があるから、案内人を付けた方が良い事を助言され、早速案内人を頼むと、若くて丈夫、さらに脇差を懐に入れ、樫の杖を片手に持って芭蕉一行の前に現れました。案内人を先頭に歩き出しましたが、余りに用意周到なので、逆に不安になり今日は悪い事が起こるかも知れないなどと思いながらとにかく前を見失わないように歩きました。峠を過ぎると主人が言っていたように、大木が生い茂り辺りが夜のように日が差さず、鳥の声も聞こえないほど奇妙に鎮まりかえり不安になると、さらに、砂混じりの強風が吹きはじめました。道といえるような道が無く、藪の中を掻き分け、川を渡り、岩をよじ登り、体からは大量の汗が噴出し何とか尾花沢に着く事が出来ました。すると案内人の若者が、今日は何も無くて本当に運が良かった。何時もなら山賊が現れ取っ組み合いとなり命も危ないのに。と笑いながら呟いたので、今更ながら胸の竦む話だと感想を述べています。

出羽街道・概要: 出羽街道の前身は多賀城(宮城県多賀城市)と秋田城(秋田県秋田市)を結ぶ官道で、その後も日本海側と太平洋側を結ぶ街道として重要視されてきました。特に江戸時代は仙台城下(宮城県仙台市)と日本海側を最短距離で結んだ事から基本的に参勤交代では利用されなかったものの物資の搬入路や出羽三山の参拝の道として発展したとされます。奥州街道の吉岡宿(宮城県吉岡町)から分岐して羽州街道の舟形宿(山形県船舟形町)に至る街道で、舟形宿からは舟形街道で鶴ヶ岡城下(山形県鶴岡市)に至り、そこから加茂街道や出羽街道、羽州浜街道などで日本海まで繋ぎました。ただし、「奥の細道」を見る限り、松尾芭蕉が通過した江戸時代初期には一般人が利用するのは稀で、関所を管理する関守からも厳しく改められています。さらに脇道ともなれば道が定まらず山刀伐峠などでは治安も悪かった事が窺えます(芭蕉は境田宿からは尾花沢まで最短距離の行程をとった為、出羽街道を外れ難所である山刀伐峠越えを選択したと思われます)。

出羽街道境田宿・「封人の家」・概要: 当時の仙台藩と新庄藩の藩境に位置し、新庄藩に属していました。藩境とはいっても当時は曖昧な部分もあり度々境界争いが発生した事を受け、新庄藩では境田村の街道沿いに旧家で村の大庄屋でもある有路家を配して境界の管理を行わせ、国境を守る役人という意味から有路家は「封人」とも呼ばれました。現在の建物の明確な建築年は不詳ですが江戸時代前期から中期にかけて建てられたものと推定され、実際に松尾芭蕉が泊まった可能性もあります。上層農家兼、役屋兼、宿屋を兼ね備えた大型民家で、土間には3頭分の厩も設置されている事から、芭蕉の安眠を妨害した馬が居たのかも知れません。封人の家(旧有路家住宅)は国指定重要文化財に指定され現在は一般公開し見学が可能です。又、境田は出羽街道の中では最高所でもあり太平洋側と日本海側の分水嶺を見る事が出来ます。


奥の細道の足跡一覧

温海
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大山
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酒田
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山寺立石寺
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尾花沢
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