旧日月寺(岩根沢三山神社)概要: 岩根沢三山神社は山形県西村山郡西川町大字岩根沢に鎮座している神社です。前身である長耀山日月寺の創建は嘉録2年(1226)、大和から巡錫で当地を訪れた僧が一宇を設けたのが始まりとされ、嘉慶元年(1387)に出羽三山の修験者の拠点の1つ本格的な根本道場の寺院として清亮により開山しました。
境内は月山の登拝口に当たる為、日月寺は月山神社の別当寺院として信仰を集め門前には数多くの宿坊が軒を連ねましたが、寛文7年(1667年)・延享元年(1744年)・天保7年(1836年)の3度の火災により堂宇が焼失し再建には多額の費用が捻出され苦しい運営が強いられたそうです。
江戸時代に入ると幕府の重鎮である天海大僧正の影響を受け真言宗から天台宗に改宗、上野東叡山輪王寺直轄末寺となり、以降は東叡山から住職が派遣されました。
出羽三山では日月寺出身の天宥上人が羽黒山(出羽神社)の別当寺院である寂光寺の住職となり出羽三山全体を天台宗に改宗させ幕府からの保護を務めましたが、羽黒山、月山系の寺院は応じたものの、湯殿山山系の寺院は真言宗を守り対立の構造が生まれています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され月山神社、出羽神社、湯殿山神社の摂社、月山・出羽・湯殿山三神社(通称:岩根沢三山神社)に社号を改めています。
何度か火災にあい消失し現在の岩根沢三山神社本殿は天保7年(1836)の火災後の天保12年(1841)に日月寺の本堂として建立したもので、正面の向拝は安政5年(1858)に完成しました。建物は神仏混合形式を取っていて、当時の出羽三山信仰の拠点建築としては第一級の資料価値があります。
本殿は天台宗本堂建築の様々な機能を持つ複合的(本堂・庫裏・書院)なもので、寄棟、鉄板葺(旧茅葺)、平入、桁行37間1尺(66.9m)、梁間12間3尺(22.5m)、軒高78尺(25.7m)、延床面積492坪(1624u)、建築面積1080坪(3570u)、正面1間軒唐破風向拝付、細部の彫刻も名工で名高い高山文五郎が彫り込んだものとされます。
旧日月寺本堂は歴史的、文化的背景や建築的でも貴重なものとされ、平成11年(1999)に西川町指定有形文化財指定に続き、平成12年(2000)に国指定重要文化財に指定されています。祭神:月読命(月山神社)、稲倉命(出羽神社)、大己貴命(出羽神社)、少彦名命(出羽神社)、大山紙命(湯殿山神社)。
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