湯殿山神社(出羽三山)概要: 湯殿山神社は出羽三山の奥の院に位置する存在で、 現在も由緒により御神体のある本宮内が撮影禁止だけでなく、基本的に素足での参拝になっています。湯殿山神社の御神体は赤茶けた巨石で上部から温泉が湧き出、煙が立ち込めるといいた特異な景観で古くから信仰の対象となってきと思われます。案内板によると「・・・(前略) 此処、湯殿山は、推古13年(605)の御開山とされ、出羽三山の総奥の院として特に厚い信仰を集めてきた。江戸時代までは真言宗として奉仕してきたが、明治維新に際して神仏分離(廃仏毀釈)が発令され、古はの神奈備山にかえり神社として奉納している。
殊に出羽三山信仰は、「三関三度」(さんかんさんど)や、「擬死再生」(ぎしさいせい)など、生まれ変わりの信仰が今も尚息づいている。羽黒山で現世利益の御神徳に与り、月山の大神の下で死後の体験をし、慈悲深い湯殿の大神より、新しい生命を賜って、再生すると考えられている。
特に湯殿山での修行は三世を超えた大日如来を本地仏とする大山祇命・大己貴命・小彦名命の霊験により、神仏と一帯になり即身成仏を得ることが出来るとされた。また湯殿山本宮では、御神体を目の当たりに拝し、直に触れてお詣りが出来る御霊験の有り難さより、俳聖松尾芭蕉も「語られぬ湯殿にむらす袂かな」の句を残された、古来「語るなかれ」 「聞くなかれ」と戒められた清浄神秘の霊場なのである。・・・(後略) 」とあります。
明治時代以前は神仏習合し別当寺院として本道寺、大日寺、大日坊、注連寺が湯殿山別当四カ寺として祭祀を司り山岳信仰の一大拠点として繁栄しました。
羽黒山は江戸時代以降、別当天宥が大僧正天海に帰依し天台宗に改宗したのに対して、湯殿山では古来からの真言宗を守り続け、由緒も羽黒山では蜂子皇子(崇峻天皇第三皇子)が羽黒山、月山、湯殿山を開山したとなっていますが、湯殿山では天長10年(833)に弘法大師空海が湯殿山を開山した事になっています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令、修験道廃止令、廃仏毀釈運動により仏教色が廃され、本社は湯殿山神社、別当寺院だった大日寺は湯殿山神社(山形県西村山郡西川町大井沢中村)、本道寺は口之宮湯殿山神社(村山郡西川町大字本道寺)となり大日坊、注連寺は寺院として独立しています。
現在でも湯殿山神社には白衣を着た信者達が多数参拝に訪れていて古の信仰を今に伝えています。祭神:大山祇命、大己貴命、少彦名命
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