お竹大日堂(出羽三山)概要: お竹大日堂の創建は寛文6年(1666)、佐久間勘解由家によって正善院黄金堂境内に建立されたのが始まりとされます。創建に至る経緯には「お竹伝説」が伝えられています。
伝承によると、元和から寛永年間(1615〜1645年)、江戸在住の佐久間家の女中で「竹」と呼ばれる女性が働いていました。「竹」は働き者の上信心深く、さらに弱きものを助け施しなども行っていました。
ある時、修行僧だった武蔵国比企郡出身の乗蓮が生身の大日如来がいる事を知り是非会ってみたいと出羽三山で修行を重ねていると、霊夢に「大日如来を見たければ江戸の佐久間家で働いている「竹」を訪ねよ。」との御告げがあり、宿の主人である玄良坊宣安と共に江戸に上り、「竹」と出会いました。
すると「竹」の背後から後光がさし、「竹」こそが生身の大日如来である事を悟り平伏しました。佐久間家の主人に事の顛末を話し、乗蓮と玄良坊宣安は出羽三山に戻ると、「竹」は自分の部屋に籠り念仏を唱えるようになり寛永15年(1638)3月21日に亡くなりました。
主人は「竹」と等身大の木像を彫刻し暫くの間、佐久間家の守護神として祭った後、正善院黄金堂境内に御堂を造営し「竹」の木像を安置し以後玄良坊が管理するようになったと伝えられています。
この故事は瞬く間に江戸中に伝わり元文5年(1740)、安永6年(1777)、文化12年(1812)、嘉永2年(1849)に江戸で出開帳が行われ多くの参拝者が訪れ信仰の対象となりました。
お竹大日堂は宝形造、茅葺、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付、外壁は真壁造、板張、弁柄色、向拝木鼻には獅子と獏、欄間には獅子の彫刻が施され、外壁正面には花頭窓が採用されています。
内部には廃仏毀釈によりお竹大日堂に移された出羽三山の本地仏である大日如来像、阿弥陀如来像、観音菩薩像が安置されています。現在は羽黒山正善院が管理しています。
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