出羽三山: 湯殿山注連寺

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概要・歴史・観光・見所
湯殿山注連寺(出羽三山)概要: 注連寺の創建は天長10年(833)、弘法大師空海が東北地方を巡錫の折当地を訪れ湯殿山大権現を勧請して開山したとされます。伝承によると弘法大師は当地で護摩壇祈祷を行ったところ49日目に八大金剛童子の化身が出現し湯殿山大権現の分霊を勧請したとされ、その際、桜(七五三掛桜)に注連縄を掛けた事から注連寺と呼ばれるようになった伝えられています。湯殿山別当の四カ寺(本道寺、大日寺、大日坊、注連寺)の1つに数えられ、女人禁制だった湯殿山の中で大日坊と共に様々な人達を受け入れた為、遥拝所としても栄ました(注連寺の先が女人結界が張られていました)。中世に入ると庄内地方を支配した武藤家(大宝寺家)に庇護され寺運も隆盛しますが、戦国時代末期に山形城の城主最上義光の侵攻により武藤氏の居城尾浦城は落城、注連寺も多くの寺宝が強奪されています。名僧と言われた鉄門海上人は明和5年(1768)に鶴岡で生まれ25歳で注連寺で出家、その後、加茂坂の隧道開削などの開発を行う一方で湯殿山の仙人沢で修行で法力を会得し江戸で流行病だった眼病治療に尽力し数多くの患者を救いました。鉄門海上人が54歳の時に注連寺に戻るとさらに布教と修行を続け、3千日修行(穀物を絶ち最終的に水分を絶ち即身仏になる修行)を終了後62歳の時に即身仏になったとされます。明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後に吹き荒れた廃仏毀釈運動で出羽三山にあった数多くの堂塔、寺院が廃される中、注連寺は形式上は湯殿山神社から離れ寺院として独立しました。湯殿山神社の遥拝所としての機能が失われた事で参拝者も急速に減少、門前に設けれた宿坊を姿を消し衰微しました。明治時代に堂宇は消失しましたが、木造平屋、入母屋、妻入、銅板葺、間口8間、奥行7間、正面3間唐破風向拝付、向拝木鼻には獅子、欄間には龍の精緻な彫刻が施された本堂が再建されています。森敦の「月山(昭和29年:1954年に森敦が注連寺で生活した実体験を基に執筆、昭和49年:1974年に芥川賞を受賞)」の舞台でも知られ、境内には森敦文庫が建てられています。平成21年(2009)に発刊された「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」では「近くにいれば寄り道をして訪れるべき場所」として二ツ星の評価を得ています。宗派:真言宗智山派。本尊:大日如来。

湯殿山注連寺:写真

湯殿山注連寺
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湯殿山神社:関係神社・寺院

注連寺
注連寺
注連寺
大日坊
大日坊
大日坊
湯殿山神社
口之宮湯殿山神社
口之宮湯殿山神社
大日寺
白
大日寺


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