羽黒山正善院(出羽三山)概要: 羽黒山正善院は山形県鶴岡市羽黒町手向に境内を構えている羽黒山修験本宗の寺院です。正善院の創建は貞観2年(860)、慈覚大師円仁(平安時代の高僧、第3代天台座主、入唐八家)により開かれたのが始まりとされます。
当初は手向山中にあり中禅寺正善院と称し羽黒山十大伽藍(羽黒山寂光寺・添川山賀我寺・広澤山荒澤寺・堂塔山龍水寺・南流山禅定寺・手向山中禅寺・来迎山千勝寺・医王山機乗寺・不動山嘉祥寺)の1つに数えられ最盛期には300坊を擁する大寺院となりました。
建久4年(1193)、源頼朝が奥羽合戦(奥州平泉の主である藤原康衡の掃討戦)の戦勝祈願の為、家臣である土肥実平に命じて金堂山長寿寺を創建すると、その塔頭となり、寺号を金堂山長寿寺正善院に改称、その際、造営されたのが正善院黄金堂とされ、安土桃山時代に建てられた御堂建築の遺構として大変貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後に吹き荒れた廃仏毀釈運動により多くの寺院、仏塔が破却され、羽黒山で残された寺院は正善院、荒澤寺、金剛樹院の三ヶ寺となり正善院は荒澤寺の本坊として羽黒山荒沢寺正善院に改称しています。
庄内三十三観音霊場第1番札所(札所本尊:聖観世音・御詠歌:たのもしき のりのひかりの こがねだう つきぬちかひも よよにしられて)。
荘内平和百八観音霊場第1番札所(御詠歌:もったいなや 世々の聖の み足跡 慕いまつりて のぼるきざはし)。
出羽路十三仏霊場第1番札所(札所本尊:不動明王。御詠歌:暗きよを あきらけくこそ 照らすらし 法のきりひの 絶ゆることなく)。
東北三十六不動尊霊場第6番札所(札所本尊:不動明王・御詠歌:暗きよを あきらけくこそ 照らすらし 法のきりひの 絶ゆることなく)。山号:羽黒山。宗派:羽黒山修験本宗。
長屋門を簡単に説明した動画
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