松ヶ岡本陣(出羽三山)概要: 松ヶ岡本陣は元和8年(1622)に最上家が改易となり酒井忠勝が信濃国松代藩(長野県長野市松代町)から庄内藩13万8千石で移封になった際、藩主と一族の仮殿として建てられた建物です。
居城となる鶴ヶ岡城の拡張整備が完成するまで高畠御殿と呼ばれ、鶴ヶ岡城が完成し藩主が城に移ると一族の子息達に住居として利用されました。
貞享3年(1686)には一部の建物を藤島宿へ移築し参勤交代の際の休息所とし御茶屋(藤島本陣)と呼ばれるようになりました。明治5年(1872)から松ヶ岡開墾が始まると集会所兼事務所として藤島から現在地に再度移築され松ヶ岡本陣と呼ばれるようになっています。
松ヶ岡の地名は庄内藩9代藩主酒井忠発が命名したもので戊辰戦争で敗北し石高を減らされた事で藩士が窮乏、開墾や造成で何とか打開しようと多くの汗が流されました。
建物は、木造平屋建て、寄棟、妻入、茅葺で、玄関屋根だけが切妻で懸魚や式台などに本陣としての格式を感じます。周りの旧蚕室と共に「松ヶ岡開墾場」として平成元年(1989)に国指定史跡に指定されています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(日本遺産 庄内藩主ゆかりの館 開墾事業の本丸)
・ 現地案内板
|
|