出羽三山神社(三神合祭殿)

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概要・歴史・観光・見所

出羽三山神社(三神合祭殿)概要: 出羽三山神社は山形県鶴岡市羽黒町手向字手向に鎮座している神社です。出羽三山神社の前身である出羽神社の創建は推古元年(593)に蜂子皇子(崇峻天皇の第3皇子)が羽黒大神を勧請した事が始まりとされます。

伝承によると蜂子皇子は崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺された為、都を離れ出羽に落ち延びたとされ、更に霊山である羽黒山に三本足の霊烏(八咫烏?)に導かれ登拝すると羽黒権現(羽黒大神)が出現し世のことわり意味を感得したと伝えられています。その後、蜂子皇子は羽黒山には寂光寺を開山すると月山、湯殿山と次々に開いて出羽三山修験の祖を築きました。

当初は伊デ波神社として延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載された式内社としても信仰を集め、特に歴代領主だけでなく朝廷や幕府などの中央権力からも崇敬され社領や社殿の造営などが行われていました。

羽黒山寂光寺が開山以降、神仏習合し、祭神を伊デ波神・稲倉魂命(羽黒権現=羽黒大神)、本地仏を正観世音菩薩とする羽黒山修験の中心として隆盛し中世には周辺大名も注視する程の影響力がありました。

戦国時代の最上家の庄内侵攻の兵火により多くの堂宇が焼失し衰微しましたが、その後再興され、第50代羽黒山別当である天宥法印は江戸幕府の中枢に近い、天海大僧正に師事する事で羽黒山を真言宗から天台宗に統一し幕府から大きな庇護を受け寺領1500石を安堵されています。

江戸時代中期以降になると庶民の行楽の機運が一気に高まり、全国に羽黒山や出羽三山の講が結成され多くの参拝者が訪れるようになり門前町は一大宿坊街として発展しました。

【神仏分離・廃仏毀釈】−明治時代初頭に発令された神仏分離令と直後から吹き荒れた廃仏毀釈運動により仏式が廃され中心的な存在だった羽黒山寂光寺は廃寺となり、神社に転じた為に社号を出羽神社に改称、多くの支院(18坊中14坊)も同時に廃寺となり仏教色の強い堂宇も次々と破却されました。

仏像や仏具も四散し多くの文化財が失われる事になりましたが、仁王門は随神門神門)に、五重塔は千憑社、弁天堂は厳島神社、開山堂は蜂子神社、大師堂は天地金神社などに転用する事で全廃は免れ一部の仏像や仏具も関係の深い寺院に移されました。

【三神合祭殿】−現在の出羽三山神社三神合祭殿の社殿は文政元年(1818)に羽黒修験の根本道場として再建されたもので拝殿は入母屋、茅葺、平入、桁行13間2尺(24.2m)、梁間9間2尺4寸(17m)、高さ2丈3尺(28m)、正面千鳥破風、3間軒唐破風向拝付、外壁は真壁造、板張、弁柄色仕上げ。

本殿は入母屋、茅葺、妻入、桁行2間、梁間3間、正面3間向拝付(こけら葺)。神仏分霊以後は月山と湯殿山が冬季間豪雪の為、司祭や参拝が困難なことから出羽三山神社の社殿で合祭する形式をとり、三所の神々を合歳している為、「三神合祭殿」に改称し、羽黒派古修験道独特な建築様式から合祭殿造りなどと称する場合もあります。

三神合祭殿の内々陣は17年毎の式年造営が続けられ伝統と技術が古来から継承され、向拝には竜や獅子など様々な彫刻が施され、特に蝦虹梁には力士像が鎮座して、秋田県中央から山形県北部に掛けての建築彫刻の特徴が見られ、茅葺の建物としては正法寺(岩手県奥州市水沢区)に次ぐ規模を持ち「東三十三ヶ国総鎮護」として威厳と信仰の厚さを感じます。

出羽三山神社三神合祭殿は「歴史的価値の高いもの」「学術的価値の高いもの」との指定基準を満たしている事から平成12年(2000)に国指定重要文化財に指定されています。

【 参考:サイト 】
公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(出羽三山神社 随身門周辺案内図)

三神合祭殿:社殿・境内・写真

出羽三山神社(三神合祭殿)
[ 付近地図: 山形県鶴岡市 ]・[ 鶴岡市:歴史・観光・見所 ]
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